【エッセイ・私たちの声】冗談が通じない人?


 ある飲み会。仲の良いメンバーばかりで楽しく過ごした時間はあっという間にすぎ、閉店間際会計を済ませて外に出た。すると、連れの男の子の忘れものを届けに1人の青年が私たちを追いかけてきた。「お客様、これお忘れではないですか?」

 それは買ったばかりの腕時計。機転の利く店員さんにかれは大変感謝し、店員さんも気さくに応じる。人柄の良さそうな青年で、かれはもちろん私たちも御礼を言いながら少しばかり話がはずむ。ほんの23分の談笑を終え和やかに解散、そんな時に1人のメンバーがかれと店員に向かって言い放った一言だった。「あ、お兄さん、こいつゲイなんで気をつけた方がいいですよww

 ユーモラスな冗談として言ったのだろうか、はたまた本気で言ったのだろうか。何にせよ、まず気をつけろの意味がわからなかったし、たちまち追い抜くように私の憤りの言葉が荒々しく飛び出た。「ゲイの何がおかしいの? 気をつけるって何を? へらへら笑ってないで説明しなさいよ!」

 結局ただの冗談ということでうやむやにされ、解散。当然腹の虫はおさまらない。激昂の後に残る理不尽な後悔に落ち込んでいた時、私は数年前の経験を思い出した。

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 私は高校から大学時代にかけて、結婚式場のインフォメーションスタッフとして約6年働いた。あらゆる年齢層に対応するために高水準の接客はもちろん、親しみやすく気さくな応対が求められる職場でもあった。

 とある披露宴の最中、カメラのフィルムを切らした60代位の男性が、替えの商品の取り扱いがないかとクロークへ訪ねてきた。私が在庫のフィルムを見せると、そのお客は違う違うと(何故か)愉快げに「それじゃなくてあれ、バカチョンカメラ! バカチョンは置いてないの?」と大声で尋ねた。

 私の表情は凍りついたが、どうやらその変化には気づかなかったようだ。差別語だと知らずユーモアとして使っているのか、はたまたわかってて使っているのか、スタッフである私にはそれを確かめるすべはなかった。客の冗談に気さくに応じるなんてことはおろか、これ以上その口から差別語が出ないよう、私はインスタントカメラを渡し手早く会計を済ませるのが精いっぱいであった。左胸にあるネームプレートには「金理花」とはっきり彫られていたのだが、きっとそれにも気づかなかったのだろう。

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  冒頭のかれが同性愛者なのかどうかはわからない。けれども、もしそうだったら? あるいは冗談を投げかけられたあの店員が同性愛者ではないと言いきれるのか? もしそうなら、「(同性愛者だから)気をつけろ」という言葉がどれほど鋭利な刃物になるだろうか。言い放つ側にそんな想像力は微塵もないのだろう。

 私が思いがけず差別語を浴びせられたあの時、そのことに憤り、発言を訂正させた人はそばにいなかったし、ただただ気持ち悪い無念さだけが残った。そんなことを思い出しながら、場の空気を壊してでも不快感を表したことは決して間違った対応ではなかったと帰宅して思うのだった。(金理花 東京外国語大学大学院/在日朝鮮人史・文化史)
 
●月刊イオ2016年3月号に掲載

【イラストに込めた意味】盲目に白黒を決めつける様子を、俯瞰して考える。
illustration_宋明樺