【エッセイ・私たちの声】私たちが語り合うためには


 産業廃棄物処理の仕事に携わる、知人の同胞女性から聞いた話である。先日、20代前半の女性が営業に来た。快活に仕事をこなす姿は誰から見ても好印象であった。だが、ふと周りの男性社員を見ると、一点に視線が集中している。かのじょは、誰もが目を引かれるようなミニスカートをはいていたのだ。

 「自らミニスカートをはいて営業、かぁ…」。私は男性社員らの視線とミニスカートをはかせるような労働環境を批判したのち、営業の女性自身にも問題はないかと話した。しかし、知人の意見は違った。「ミニスカートでないと、雇ってもらえないんでしょう」。その後、私と知人はしばし口論になった。知人にとっては、現場におけるジェンダー問題は、副次的な矛盾としか映らなかった。知人が想定する基本矛盾は、経済構造それ自体にあったのだ。「明日の生活もわからないのに、そんなこと言ってられる?」。―知人の言葉に対して、私は口をつぐんでしまった。

 1920年代、日本の植民地下にあった朝鮮では、自由恋愛の観念が新女性を中心に拡大したという。その一方で、1920年代後半には10~20代の多数の朝鮮女性たちが家庭内不和を原因として自ら命を絶ったということが確認される。自殺の背景には、早婚を強いられた女性の姿があった。かのじょたちは、自由恋愛とは逆の道を選択したのである。

 ジェンダーは、社会の経済的構造や文化構造に貫く差別構造を作り出し、また既存の構造を再生産する。だが忘れてはいけないのは、ジェンダーそれ自体も社会構造に埋め込まれているという点だ。この社会構造は、ジェンダーではない諸矛盾をも重層的に内包している。それゆえ、表出したジェンダー問題のみを切り取る指摘では、的外れな方向へ導きかねない。つまり、ジェンダーが作り出した社会構造が、社会の諸矛盾を再生産するという図式は、あまりにも単純すぎるのだ。スカートをはかせる労働環境、早婚を強いる状況への批判は間違えないはずだが、かのじょたちにそうした道を選択させる主要因はジェンダー規範の範疇を越えた問題なのである。知人と私の間にあった隔絶は、まさしくここに起因していた。

 自由恋愛を語った新女性と早婚を強いられている朝鮮女性は、語り合うことができなかったのか。植民地社会の構造的な歪みと私たち在日朝鮮人が体現させられている歪みは並列できないが、おそらく私と知人の間の不通な状況と同質の隔絶が、かのじょたちの間にも垣間見えたのではないかと思う。

 では、果たしてどのようにすれば、かのじょたち・私たちはともに語りあえたのか。この問いは日々模索せねばならないことだと思ってはいるものの、私は努力不足でその方法論を獲得できていない。しかしながら、少なくとも言えることは、圧倒的な基本矛盾は何なのか、現象化された事柄は何に起因するのか、基本矛盾を克服する過程で見落とされている矛盾はないか…こうした点を見誤らないことではないかと考える。(韓梨恵 千葉大学大学院/朝鮮近代史専攻)

●月刊イオ2016年8月号に掲載

【イラストに込めた意味】まるで月と銀河系がお話ししあうような。同じ宇宙についてでも、銀河系について話している人と月について話している人では、話が噛み合わない。

illustration_宋明樺