【エッセイ・私たちの声】障がい児支援施設のモラル教育


 「触ってはいけません」「触ると警察へ行きます」

 中学生男子に投げかけられた言葉に、はっと胸を突かれた。私が、障がい児支援施設に勤め始めた初日の出来事だ。新しく来た先生に、子どもたちは興味津々。そのうちの一人の男子が笑顔で私に近寄り、ハグをしてきた。緊張していた私が、かれのあどけない笑顔に心が和み、両腕を広げたその時。厳しい表情をした指導員が先ほどの台詞を言い放った。男の子はすぐさま私から離れ、寂しそうにうつむいた。

 (先生に抱きついたからって警察?!)

 呆然とする私に指導員が話してくれた。かれはもうすぐ高校生になること。特別支援学校にも受験があり、高校進学にあたり自主登校(※公共交通機関を使っての登校)ができるかできないかが受験の項目に含まれていること。初対面の異性に触れたり見つめることは、「してはいけないこと」に含まれることなど…。

 なるほど、そうか。もし、かれが電車の中で他人に抱きついてしまったら、そのまま通報されてしまう恐れもあるのだ。かれらの障害の程度や発達レベルは様々だ。発達段階において男女の性差が発現し、それに対応したマナーやモラル教育も必要となってくる。「普通は…」とか「常識的に考えて…」なんて言葉は、かれらには理解しがたい。人前でコートを脱ぐのはOKだが、シャツやズボンを脱ぐのはNG。人と話す際の顔の距離は、腕を伸ばした距離で…など、私たちが普段なんとなくわかっていることを、シンプルかつ明確にパターン化して提示する必要があるのだ。子どもたちが取り組む問題集に、こんな設問があった。

 「電車の中で女の人をジロジロ見ました。良いことですか、悪いことですか」。解答は「悪いこと」である。が、ここで問題となるのは、「女の人を」の部分なのか「ジロジロ見ること」なのか。かれらにとっては理由はともあれ、ジロジロみると変質者に見間違われる危険性を教えなければならないのだ。かれらを守るために、タブーを明確にしなければならない。

 かといって、すべての物事を明確にパターン化できるわけではない。異性にプライベートゾーンを見せてはいけないと教えつつも、排泄の見守りが必要な児童に対し、必ずしも同性介助で対応できるとは限らない。外出の際、多目的トイレが設置されていない場所だと、児童をどちらのトイレに誘導するか、困ってしまう。そう、ケースバイケースで対応しなくてはならないことだらけなのだ。自閉症のA君は、大きな音や子どもの甲高い声が苦手で、時にパニックを起こす。そんな時かれは、人の手をぎゅっと握って目を閉じることでリセットしている。かれが困って誰かの手を握ったとき、「大丈夫」といってあげられる優しさを世の中に求めることは難しいことなのか。

 ジェンダーの視点からも、ノーマライゼーションの視点からも、私たちはもっと手を取り合うべきではなかろうか。「厳しさ」だけでなく「寛容さ」にそのカギがあるように私は思う。(李英福 茨城朝鮮初中高級学校講師、介護福祉士)

●月刊イオ2016年10月号に掲載

【イラストに込めた意味】難しいことばかりの世界で、相手を受け入れ手をとりあう。たったそれだけで、安心できる。

illustration_宋明樺

 


 

 「さわっては いけません」「さわると けいさつへ いきます」

 ちゅうがくせいだんしに なげかけられた ことばに、はっと むねを つかれた。わたしが、しょうがいじしえんしせつに つとめはじめた しょにちの できごとだ。あたらしく きた せんせいに、こどもたちは きょうみしんしん。そのうちの ひとりの だんしが えがおで わたしに ちかより、はぐをしてきた。きんちょうしていた わたしが、かれの あどけないえがおに こころがなごみ、りょううでを ひろげた そのとき。きびしい ひょうじょうを した しどういんが さきほどの せりふを いいはなった。おとこのこは すぐさま わたしから はなれ、さびしそうに うつむいた。

 (せんせいに だきついたからって けいさつ?!)

 ぼうぜんとする わたしに しどういんが はなしてくれた。かれはもうすぐ こうこうせいになること。とくべつしえんがっこうにも じゅけんがあり、こうこうしんがくにあたり じしゅとうこう(※こうきょうこうつうきかんを つかっての とうこう)ができるかできないかが じゅけんのこうもくに ふくまれていること。しょたいめんの いせいに ふれたりみつめることは、「してはいけないこと」に ふくまれることなど…。

 なるほど、そうか。もし、かれがでんしゃのなかで たにんにだきついてしまったら、そのまま つうほうされてしまう おそれもあるのだ。かれらの しょうがいのていどや はったつれべるは さまざまだ。はったつだんかいに おいて だんじょの せいさが はつげんし、それに たいおうした まなーや もらるきょういくも ひつようとなってくる。「ふつうは…」とか「じょうしきてきに かんがえて…」なんてことばは、かれらには りかいしがたい。ひとまえで こーとをぬぐのはOKだが、しゃつやずぼんを ぬぐのはNG。ひとと はなすさいの かおのきょりは、うでをのばしたきょりで…など、わたしたちが ふだんなんとなく わかっていることを、しんぷるかつ めいかくに ぱたーんかして ていじするひつようが あるのだ。こどもたちが とりくむもんだいしゅうに、こんなせつもんが あった。

 「でんしゃのなかで おんなのひとを じろじろみました。よいことですか、わるいことですか」。かいとうは「わるいこと」である。が、ここでもんだいとなるのは、「おんなのひとを」のぶぶんなのか「じろじろみること」なのか。かれらにとっては りゆうはともあれ、じろじろみると へんしつしゃに みまちがわれるきけんせいを おしえなければ ならないのだ。かれらをまもるために、たぶーをめいかくに しなければならない。

 かといって、すべてのものごとを めいかくに ぱたーんかできるわけではない。いせいに ぷらいべーとぞーんを みせてはいけないと おしえつつも、はいせつの みまもりが ひつような じどうにたいし、かならずしも どうせいかいじょで たいおうできるとは かぎらない。がいしゅつのさい、たもくてきといれが せっちされていない ばしょだと、じどうを どちらのといれに ゆうどうするか、こまってしまう。そう、けーすばいけーすで たいおうしなくてはならないことだらけなのだ。じへいしょうのAくんは、おおきなおとや こどものかんだかいこえが にがてで、ときにぱにっくをおこす。そんなときかれは、ひとのてを ぎゅっとにぎって めをとじることで りせっとしている。かれがこまって だれかのてを にぎったとき、「だいじょうぶ」といってあげられる やさしさを よのなかに もとめることは むずかしいことなのか。

 じぇんだーの してんからも、のーまらいぜーしょんの してんからも、わたしたちはもっと てをとりあうべきではなかろうか。「きびしさ」だけでなく「かんようさ」にそのかぎがあるように わたしはおもう。(り・よんぼっ いばらきちょうせんしょちゅうこうきゅうがっこうこうし、かいごふくしし)

●げっかんいお2016ねん10がつごうにけいさい

【いらすとに こめたいみ】むずかしいことばかりの せかいで、あいてをうけいれ てをとりあう。たったそれだけで、あんしんできる。

illustration_そんみょんふぁ