【エッセイ・私たちの声】朝鮮青年として、勇気ある実践を


 去る3月、3.1独立運動97周年をむかえ、在日朝鮮人大学生有志らが外務省前で「3.1全国行動の日」連帯アクションを起こした。昨年12月28日、日本軍「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決」されたといういわゆる「合意」が韓日政府間で行われたためである。

 アクションを発起した友人の呼びかけに私も進んで呼応した。被害者のハルモニたちを、そして朝鮮民族の尊厳を踏みにじった「韓日合意」を許せなかったからだ。友人はそんな私に、「朝鮮青年」(※)の力を知らしめるためにも外務省前でその怒りを人々に訴えてほしいと頼んできた。

 日本軍「慰安婦」問題に関して在日朝鮮人学生が主導するアクションは初めてのものであった。私はもう一度深く「慰安婦」問題について考えてみようと、被害者たちの証言集を読んだ。想像を絶する被害証言の数々を読みながら、湧き上がる怒りを抑えることができなかった。「慰安婦」問題は、日本による朝鮮植民地支配が生んだ悲劇である。よってこの問題の解決のためには、民族的問題への自主的な視点が不可欠だ。

 しかし、それだけでは説明しきれない「蹂躙の実態」があるのではないかということを、私は証言の中のリアルな言葉から感じた。それが性差による肉体的な能力の「優越性」を行使して、女性を物のように扱う卑しい男性の姿であった。

 私は男性だ。「慰安婦」問題との関係を再び考えてみると、自分は「民族としては被害者だが、性別としては加害者」の立場にある。これに気づいた時、私は今まで感じたことのない、男性であることへの嫌悪感と羞恥心に襲われた。それを克服するためには「慰安婦」問題に対する「男性としての責任」を自覚し、その責任を果たしていくしかないと思った。そうして、発言の内容に民族的問題とともに、性別的問題としての訴えを含めることを決意した。

 実際に発言する時は苦しかった。(民族的)怒りと(男性としての)羞恥心が複雑に絡み合った心情で人々に訴えるということは、決して楽ではなかった。だが、自分という存在の加害性から目をそらし続け、片方での抑圧構造を温存しながら自分の被害性だけを主張するのは、この問題の本当の解決にはつながらない。

 私はこのアクションを機に、自分の内にある2つの側面(加害性と被害性)について考えるようになった。自分という存在が持っている2つの側面は、果たして「慰安婦」問題だけに言えることなのだろうか? …決してそうではない。在日朝鮮人の歴史に、そして在日「朝鮮青年」である私の生活にも、この2つの側面は常に存在している。その事実と真剣に向き合って克服していくことが、いま求められているのではないか。被害者(被抑圧者)としての抵抗と、加害者(抑圧者)としての「勇気ある実践」が、私たちの歴史を前進させる。だから私も、在日朝鮮人社会を担っていく一人の「朝鮮青年」として、内在する2つの側面を主体的に捉え、その責任を全うしていこうと思う。

※本稿では在日朝鮮人の若者をあえて「朝鮮青年」と統一して表現した。朝鮮民主主義人民共和国において「青年」という言葉は、単純な年齢的範囲だけを定義する言葉ではなく、“時代開拓の推進力”という意味を色濃く含んでいる。朝鮮の青年たち同様、時代開拓の推進力として、在日朝鮮人の若者の可能性を強調する意図で「朝鮮青年」という言葉を用いた。(柳徹相 掲載当時、朝鮮大学校文学歴史学部4年生)

●月刊イオ2016年11月号に掲載

illustration_宋明樺

 


 

 さる3がつ、3.1どくりつうんどう 97しゅうねんを むかえ、ざいにちちょうせんじんだいがくせいゆうしらが がいむしょうまえで 「3.1ぜんこくこうどうの ひ」れんたいあくしょんを おこした。さくねん 12がつ28にち、にほんぐん「いあんふ」もんだいが 「さいしゅうてき かつ ふかぎゃくてきに かいけつ」されたという いわゆる「ごうい」が かんにちせいふかんで 行われたためである。

 あくしょんを ほっきした ゆうじんの よびかけに わたしも すすんで こおうした。ひがいしゃの はるもにたちを、そして ちょうせんみんぞくの そんげんを ふみにじった 「かんにちごうい」を ゆるせなかったからだ。ゆうじんは そんなわたしに、「ちょうせんせいねん」(※)のちからを しらしめるためにも がいむしょうまえで そのいかりを ひとびとに うったえてほしいと たのんできた。

 にほんぐん「いあんふ」もんだいに かんして ざいにちちょうせんじんがくせいが しゅどうする あくしょんは はじめてのものであった。わたしは もういちど ふかく「いあんふ」もんだいについて かんがえてみようと、ひがいしゃたちの しょうげんしゅうを よんだ。そうぞうを ぜっする ひがいしょうげんの かずかずをよみながら、わきあがる いかりを おさえることが できなかった。「いあんふ」もんだいは、にほんによる ちょうせんしょくみんちしはいが うんだ ひげきである。よってこの もんだいの かいけつの ためには、みんぞくてきもんだいへの じしゅてきな してんが ふかけつだ。

 しかし、それだけでは せつめいしきれない 「じゅうりんのじったい」が あるのではないかということを、わたしは しょうげんのなかの りあるなことばから かんじた。それが せいさによる にくたいてきな のうりょくの 「ゆうえつせい」を こうしして、じょせいを もののように あつかう いやしい だんせいの すがたであった。

 わたしは だんせいだ。「いあんふ」もんだいとの かんけいを ふたたび かんがえてみると、じぶんは 「みんぞくとしては ひがいしゃだが、せいべつとしては かがいしゃ」のたちばに ある。これにきづいたとき、わたしは いままで かんじたことのない、だんせいであることへの けんおかんと しゅうちしんに おそわれた。それを こくふくするためには 「いあんふ」もんだいに たいする「だんせいとしての せきにん」を じかくし、そのせきにんを はたしていくしかないと おもった。そうして、はつげんの ないように みんぞくてきもんだいと ともに、せいべつてきもんだいとしての うったえを ふくめることを けついした。

 じっさいに はつげんするときは くるしかった。(みんぞくてき)いかりと (だんせいとしての) しゅうちしんが ふくざつに からみあった しんじょうで ひとびとに うったえると いうことは、けっしてらくでは なかった。だが、じぶんという そんざいの かがいせいから めを そらしつづけ、かたほうでの よくあつこうぞうを おんぞんしながら じぶんの ひがいせいだけを しゅちょうするのは、このもんだいの ほんとうの かいけつには つながらない。

 わたしは このあくしょんを きに、じぶんのうちにある 2つのそくめん(かがいせいと ひがいせい)について かんがえるように なった。じぶんという そんざいがもっている 2つのそくめんは、はたして「いあんふ」もんだいだけに いえることなのだろうか? …けっして そうではない。ざいにちちょうせんじんの れきしに、そして ざいにち「ちょうせんせいねん」である わたしの せいかつにも、この2つの そくめんは つねに そんざいしている。そのじじつと しんけんに むきあって こくふくしていくことが、いま もとめられているのではないか。ひがいしゃ(ひよくあつしゃ)としての ていこうと、かがいしゃ(よくあつしゃ)としての「ゆうきある じっせん」が、わたしたちの れきしを ぜんしんさせる。だからわたしも、ざいにちちょうせんじんしゃかいを になっていく ひとりの「ちょうせんせいねん」として、ないざいする 2つのそくめんを しゅたいてきにとらえ、そのせきにんを まっとうしていこうとおもう。

※ほんこうでは ざいにちちょうせんじんの わかものを あえて「ちょうせんせいねん」と とういつして ひょうげんした。ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくにおいて 「せいねん」という ことばは、たんじゅんな ねんれいてきはんいだけを ていぎする ことばではなく、“じだいかいたくの すいしんりょく”といういみを いろこく ふくんでいる。ちょうせんの せいねんたちどうよう、じだいかいたくの すいしんりょくとして、ざいにちちょうせんじんの わかものの かのうせいを きょうちょうする いとで「ちょうせんせいねん」という ことばを もちいた。(りゅ ちょるさん けいさいとうじ、ちょうせんだいがっこう ぶんがくれきしがくぶ 4ねんせい)

●げっかん いお 2016ねん11がつごうに けいさい

illustration_そん みょんふぁ