【エッセイ・私たちの声】複数の豊潤な感性を受け継ぐ在日朝鮮人女性


 幼少期から「朝鮮と日本の架け橋に」、「日本社会にこだわらずに“世界”を見据えて生きなさい」と言われ、様々な経験をさせてもらった。また両親は恐らく、子どもが将来ぶつかるであろう「壁」をできる限りなくそうと、国籍・名前について、法的制約もあったが「融通の効く」方を選んだ。その選択について説明を受け、私も多くの勉強をし、社会的な状況も含め納得しながら育った。そのため、宗主国でも朝鮮人の子孫として、朝鮮人であることに誇りを持ちながら胸を張って生きてこられたと思う。ジェンダー化されない「人」として生き、歴史・権力構造・社会システムを知ることで、ますます朝鮮人としての誇りが生まれたのだ。

 しかし、現実の社会では、朝鮮人である前に「女」であることによって、人として、朝鮮人として、出鼻をくじかれるという経験をしてきた。学校生活ではいつでも男子を支える「優秀なサブ」的存在だった。数え切れないほど「お前が男ならもっと先生は任せられたのにな」と言われ、その度に、「なぜ私は女に生まれたのか」と恨みながらも、「私は私なんだから」と自ら身を引き、その潔さを賢さとして評価された。親戚からは「中途半端に頭のいい女は厄介だから、頃合いのいいところで学問をやめて落ち着け」と言われ、それならば期待値をクリアするまで研鑽を積まないといけないと焦って空回りを繰り返す。

 その一方、社会で期待される「女性像」を表現できる人でいたいという気持ちを切り捨てられない。相手から「愛されない事実」を女性性の欠如と変換してみたりする。社会生活でうまくいかない理由を「女だから仕方ない、これが男なら違ったはず」と逃げる根拠にもした。他方で、どこかで「男のくせにこんなこともできないのか」と男たちを見下す欲望もあり、そのアンバランスさに悩んできた。

 そんな中、13年、同じ気持ちを抱いている友人たちと「ゆる・ふぇみカフェ」というコミュニティを立ち上げた。背景には、既存の女性・ジェンダー・フェミニズム運動への疑問や不満があった。過去の遺産を引き継ぎながらも、今の運動を「繋げたい」との思いもあった。16年夏には、悲願であった、同胞の女性研究者に「朝鮮のフェミニズム」について語ってもらうイベントを開催した。小さな一歩だけれど何か新しい予感を感じた。

 二重の阻害要因(エスニシティ・階級)を持って生きている在日朝鮮人女性たちは、複雑な心を隠しつつ、民族的ジェンダー要素と日本社会のジェンダー要素を自ら編み上げながら、しなやかに生き続けている。そのことは歴史が教えてくれる。他者に理解可能な存在として同化するよりは、他の困難な人々と連帯することで、解放への手順が整う。そのことは現実が教えてくれる。私たちは、現実を合理的に判断することではなく、二重の阻害要因と朝鮮・日本のジェンダー要素を肌で感じ、複数の豊潤な感性として受け継ぎたい。(梁聡子 一橋大学大学院・社会学(ジェンダー・エスニシティ)研究)

●月刊イオ2017年1月号に掲載

illustration_宋明樺


 ようしょうきから「ちょうせんと にほんのかけはしに」、「にほんしゃかいに こだわらずに “せかい”をみすえていきなさい」といわれ、さまざまなけいけんを させてもらった。また りょうしんはおそらく、こどもがしょうらいぶつかるであろう「かべ」を できるかぎりなくそうと、こくせき・なまえについて、ほうてきせいやくもあったが「ゆうづうのきく」ほうを えらんだ。そのせんたくについて せつめいをうけ、わたしも おおくのべんきょうをし、しゃかいてきなじょうきょうもふくめ なっとくしながら そだった。そのため、そうしゅこくでも ちょうせんじんのしそんとして、ちょうせんじんであることに ほこりをもちながら むねをはっていきてこられたとおもう。じぇんだーかされない「ひと」としていき、れきし・けんりょくこうぞう・しゃかいしすてむを しることで、ますます ちょうせんじんとしての ほこりがうまれたのだ。

 しかし、げんじつのしゃかいでは、ちょうせんじんであるまえに「おんな」であることによって、ひととして、ちょうせんじんとして、でばなをくじかれるという けいけんをしてきた。がっこうせいかつでは いつでもだんしをささえる「ゆうしゅうなさぶ」てきそんざいだった。かぞえきれないほど「おまえがおとこなら もっとせんせいは まかせられたのにな」といわれ、そのたびに、「なぜわたしは おんなにうまれたのか」とうらみながらも、「わたしは わたしなんだから」とみずから みをひき、そのいさぎよさを かしこさとして ひょうかされた。しんせきからは「ちゅうとはんぱに あたまのいいおんなは やっかいだから、ころあいのいいところで がくもんを やめておちつけ」といわれ、それならば きたいちを くりあするまで けんさんをつまないといけないと あせって からまわりをくりかえす。

 そのいっぽう、しゃかいで きたいされる「じょせいぞう」を ひょうげんできるひとでいたいというきもちを きりすてられない。あいてから「あいされないじじつ」を じょせいせいのけつじょ とへんかんしてみたりする。しゃかいせいかつで うまくいかないりゆうを「おんなだからしかたない、これがおとこなら ちがったはず」と にげるこんきょにもした。たほうで、どこかで「おとこのくせに こんなこともできないのか」とおとこたちを みくだすよくぼうもあり、そのあんばらんすさに なやんできた。

 そんななか、13ねん、おなじきもちをいだいているゆうじんたちと「ゆる・ふぇみかふぇ」という こみゅにてぃを たちあげた。はいけいには、きぞんのじょせい・じぇんだー・ふぇみにずむうんどうへのぎもんや ふまんがあった。かこのいさんをひきつぎながらも、いまのうんどうを「つなげたい」とのおもいもあった。16ねんなつには、ひがんであった、どうほうのじょせいけんきゅうしゃに「ちょうせんのふぇみにずむ」についてかたってもらう いべんとをかいさいした。ちいさないっぽだけれど なにかあたらしいよかんをかんじた。

 にじゅうのそがいよういん(えすにしてぃ・かいきゅう)をもって いきているざいにちちょうせんじんじょせいたちは、ふくざつなこころを かくしつつ、みんぞくてきじぇんだーようそと にほんしゃかいのじぇんだーようそを みずからあみあげながら、しなやかに いきつづけている。そのことは れきしがおしえてくれる。たしゃに りかいかのうな そんざいとしてどうかするよりは、ほかの こんなんなひとびとと れんたいすることで、かいほうへの てじゅんがととのう。そのことは げんじつがおしえてくれる。わたしたちは、げんじつを ごうりてきに はんだんすることではなく、にじゅうのそがいよういんと ちょうせん・にほんのじぇんだーようそを はだでかんじ、ふくすうの ほうじゅんなかんせいとしてうけつぎたい。(りゃんちょんじゃ ひとつばしだいがくだいがくいん・しゃかいがく(じぇんだー・えすにしてぃ)けんきゅう)

●げっかん いお 2017ねん1がつごうに けいさい

illustration_そん みょんふぁ