【エッセイ・私たちの声】解放直後の在日朝鮮人女性が描いた未来像


 大学院に入って「第三世界フェミニズム」「ブラック・フェミニズム」といった言葉に出会い、私は心を打たれた。「女性」という側面のみならず、民族や人種、階級などさまざまな要因によって虐げられた女性たちの「解放」を叫ぶこれらのフェミニズムに、旧植民地出身の在日朝鮮人女性の「解放」を描く未来像を重ねることができたからである。

 ひとりの在日朝鮮人女性である私が日々感じる不安や生きづらさは、「女性」であるからということだけでその原因は説明できない。日本の植民地過去清算の未解決や、それとも深く関わる朝鮮半島の分断がその背景にある。しばしば考えさせられることは、この生きづらさを克服する道はあるのだろうか、ということだ。

 このような「生きづらさ」に対して悩みを抱えていたのは、今を生きる私たちだけではない。置かれた状況は違えども、植民地解放直後を生きた在日朝鮮人女性たちもまた、この悩みに直面した。1945年8月15日に植民地支配からの解放を迎え、広範な在日朝鮮人が集結し在日本朝鮮人連盟(朝連)を結成したのであるが、それから少し間をおいて、朝連内に「婦女部」という部署(これが後に女性の単一団体として独立し、「在日本朝鮮民主女性同盟」が結成される)が誕生する。この「婦女部」設立の必要性を、解放直後を生きた一人の在日朝鮮人女性は、次のようにのべている。

 「人間として日常的に生活するのに必要な文字をも学ぶことができなかったため、新聞一枚も読むことができない」。「技術を学ぶ機会にも恵まれず」「ただ家庭においては少しの余暇もなく、文字通り言葉を発することもできずに、やれと言われたことだけをする牛や馬のように昼夜仕事をする」。「生活を送るのも、夫となった者が主人となって、その夫がいくら毎日酒屋と遊廓にだけ通い、妾を持っても、社会ではこのような不合理な事実をまるで当然のことのように公認した」。「この悲しく残酷な中から抜け出し、人間としての資格も与えよと猛烈に戦うこと、これが、私たちが叫ぶ婦女解放の一つの理由であり、これを成し遂げることが私たち婦女部の使命である」(『民衆新聞』1946年6月1日「婦女の解放と覚悟 金恩順」より※原文は朝鮮語)―。

 そして、かのじょは「朝鮮民族は、無産階級の解放と婦女の解放なくして民主主義国家を完成することができない」としながら、在日朝鮮人女性に重くのしかかる植民地主義とジェンダーに起因する重層的な抑圧からの解放があってはじめて、朝鮮民族の解放が果たされるという未来像を描いた。

 かのじょの描いた未来像は、今を生きる私たちに、「解放」とは何かを問いかけるものではないだろうか。今年は、10.4宣言発表10年を迎える、朝鮮民族にとって歴史的な一年である。統一朝鮮に思いを馳せるひとりの朝鮮人女性として、解放直後の在日朝鮮人女性が思い描いた朝鮮の未来像に私は深く感銘を受けた。(李玲実●朝鮮大学校研究院、在日朝鮮人史)

●月刊イオ2017年7月号に掲載

illustration_宋明樺


 だいがくいんに はいって「だいさんせかいふぇみにずむ」「ぶらっく・ふぇみにずむ」といったことばにであい、わたしは こころをうたれた。「じょせい」という そくめんのみならず、みんぞくやじんしゅ、かいきゅうなど さまざまなよういんによって しいたげられたじょせいたちの「かいほう」をさけぶ これらの ふぇみにずむに、きゅう しょくみんちしゅっしんの ざいにちちょうせんじんじょせいの「かいほう」をえがく みらいぞうを かさねることができたからである。

 ひとりの ざいにちちょうせんじんじょせいである わたしが ひびかんじる ふあんや いきづらさは、「じょせい」であるから ということだけで そのげんいんは せつめいできない。にほんの しょくみんちかこせいさんの みかいけつや、それともふかくかかわる ちょうせんはんとうのぶんだんが そのはいけいにある。しばしば かんがえさせられることは、このいきづらさを こくふくするみちは あるのだろうか、ということだ。

 このような「いきづらさ」にたいして なやみをかかえていたのは、いまをいきる わたしたちだけではない。おかれたじょうきょうは ちがえども、しょくみんちかいほうちょくごを いきた ざいにちちょうせんじんじょせいたちもまた、このなやみに ちょくめんした。1945ねん8がつ15にちに しょくみんちしはいからの かいほうをむかえ、こうはんな ざいにちちょうせんじんが しゅうけつし ざいにっぽんちょうせんじんれんめい(ちょうれん)を けっせいしたのであるが、それからすこし まをおいて、ちょうれんないに「ふじょぶ」という ぶしょ(これがのちに じょせいの たんいつだんんたいとして どくりつし、「ざいにっぽんちょうせん みんしゅじょせいどうめい」がけっせいされる)がたんじょうする。この「ふじょぶ」せつりつの ひつようせいを、かいほうちょくごをいきた ひとりの ざいにちちょうせんじんじょせいは、つぎのように のべている。

 「にんげんとして にちじょうてきに せいかつするのに ひつような もじをも まなぶことができなかったため、しんぶんいちまいも よむことができない」。「ぎじゅつを まなぶきかいにも めぐまれず」「ただ かていにおいては すこしの よかもなく、もじどおり ことばをはっすることもできずに、やれといわれたことだけをする うしや うまのように ちゅうや しごとをする」。「せいかつをおくるのも、おっととなったものが しゅじんとなって、そのおっとが いくらまいにち さかやと ゆうかくにだけかよい、めかけをもっても、しゃかいでは このような ふごうりなじじつを まるでとうぜんのことのように こうにんした」。「このかなしく ざんこくななかから ぬけだし、にんげんとしての しかくもあたえよと もうれつに たたかうこと、これが、わたしたちが さけぶ ふじょかいほうの ひとつのりゆうであり、これをなしとげることが わたしたち ふじょぶの しめいである」(『みんしゅうしんぶん』1946ねん6がつ1にち「ふじょの かいほうと かくご きむ・うんすん」より ※げんぶんは ちょうせんご)―。

 そして、かのじょは「ちょうせんみんぞくは、むさんかいきゅうの かいほうと ふじょの かいほうなくして みんしゅしゅぎこっかを かんせいすることが できない」としながら、ざいにちちょうせんじんじょせいに おもく のしかかる しょくみんちしゅぎと じぇんだーにきいんする じゅうそうてきな よくあつからの かいほうがあって はじめて、ちょうせんみんぞくの かいほうが はたされるという みらいぞうを えがいた。

 かのじょのかいた みらいぞうは、いまをいきる わたしたちに、「かいほう」とは なにかを といかけるものではないだろうか。ことしは、10.4せんげんはっぴょう10年をむかえる、ちょうせんみんぞくにとって れきしてきな いちねんである。とういつちょうせんに おもいをはせる ひとりの ちょうせんじんじょせいとして、かいほうちょくごの ざいにちちょうせんじんじょせいが おもいえがいた ちょうせんのみらいぞうに わたしは ふかく かんめいをうけた。(り・りょんしる●ちょうせんだいがっこうけんきゅういん、ざいにちちょうせんじんし)

●げっかんいお2017ねん7がつごうにけいさい

illustration_そんみょんふぁ