2018年連続講座第1回報告「排外主義とセクシュアリティを考える」


** ふたつめは かんじ なし **

 

3月27日、マサキチトセさんと遠藤まめたさんをお招きして「排外主義とセクシュアリティを考える」というタイトルで(2018年連続講座「だれいき。あなたとわたしの〈性〉を考える」第1回)、お話をうかがいました。

以下、当日の簡単な報告と参加者の感想を共有させていただきます。ぜひご一読ください!

**当日のライブ放送動画はこちらからご覧になれます

【報告】

 

3月27日、マサキチトセさんと遠藤まめたさんをお招きし、「だれいき。あなたとわたしの〈性〉を考える」第1回講座を飯田橋ボランティアセンターにて開催し、44名が参加しました。

 

まず、マサキチトセさんから「主流LGBT運動の課題」というタイトルでお話がありました。前半では、人材派遣に関する業務やFAT CATSという夜営業が中心のお店での出会いを通して気づいたことや考えたことを話されました。「居心地のいい場所ではなく、みんなが居心地の悪さを分担する場所」というコンセプトで、LGBTQや性暴力サバイバー、在日朝鮮人を含む複雑で多様なマイノリティが居られる空間を目指していること。「誰かが誰かに「教える」のではなく、あなたと私が知り合ってその人間関係のなかで学び合う」ことの大切さを実体験に根ざしてお話しくださいました。

 

後半では、LGBTブームのなかで貧困者、生活保護受給者、キャリアをもたない労働者、過剰労働の被害者、近隣アジア諸国にルーツを持つ人、セックスワーカー等々が排除されており、複合差別の視点に乏しいという指摘がありました。世間体のいい模範的なマイノリティが多様性の印として押し出す政治家や自治体が、ホームレス排除や軍事力強化を支持しており、LGBTブームのなかで「誰がどう「マシ」になろうとしているのか」という問いを投げかけられました。お話の最後には大きなLGBT団体の中に当然に「民族差別撤廃部会」がなければならないとおっしゃいました。

 

次に、遠藤まめたさんから「排外主義とセクシュアリティ」というタイトルでお話がありました。冒頭の自己紹介では、出身年や地、トランスジェンダーの記載に加え、「日本人って書けばよかったけど、都合よく日本人と書いたり消したりできるのが日本人らしい」とおっしゃいました。

 

前半では、同性愛者を死刑にしたウガンダのドキュメンタリー映画『Call Me Kuchu』を取っ掛かりに、当時感じた何も出来ない悔しさや後の上映運動のお話をなさいました。「日本だと考えられない」と思っていたが、上映会で「在日朝鮮人が日本にもこれあるじゃないか、在特会のデモあるでしょ」という意見があったこと。同性愛嫌悪がウガンダ社会をおおう一方で、植民地時代もイギリス帝国がセクシュアリティに関する法を押しつけ、現代も西洋諸国が非難しすぐに経済制裁をして「自分たちの伝統」を脅かすという認識がウガンダ内部にあるというジレンマを話されました。

 

後半では、在日朝鮮人との出会いについてのかつての認識や、「してもの会」での対話をつうじて知った自身が「日本人」であるということを実体験から語ってくださいました。そのなかで日本国籍としてパスポートが使える一方、セクシュアルマイノリティとして結婚制度を使えないなど、自分が少数派である要素と多数派である要素があることに気が付いたとおっしゃいました。そして、LGBT当事者から「在日って生活保護多いんでしょ」といわれ、理路整然と言えず悲しくなり、「差別っていつも同じカタチで現れるのにみんな気がつかないのはなんでだろう」という問いを投げかけられました。

 

【クロストーク&質疑応答】

 

Q.お店で差別的発言があったらどのように対応する?

A.(マサキ)新規のお客さんに最初から注意しに行くことはないが、「ちょっとうちの店ではそういうのやめて」と言ったり、関係性ができてきたら冗談まじりに「うるせーよ!」と言ったり、相手を黙って下から上まで見たりした。

(まめた)「いい在日と悪い在日いるよね」といってるのを見て、「ネットの情報って間違ってることあるから気をつけたほうがいいよ」と伝えた。

 

Q.主流LGBTの問題点および非主流のものとは?

A.(まめた)某企業はLGBTが働きやすいとする一方で社員が過労死をしていたり。平等の程度が低い。

(マサキ)平等に辛いみたいな。某ファッションブランド?もレインボー商品を提案しているがそもそも高くて買えなかったり。非営利なLGBT団体でもビジネスライクに活動しているところが主流。

(マサキ)非主流のものとしては、レインボー・アクションという団体が難民問題も取り上げてかつて活発に活動していた。今は少ない。

(まめた)GID学会の前の日にくたばれGID学会が開かれ、みんなが声を上げやすくなる。でもごたごたしたところを見せないのが主流。パレードでももめる人に対し「怖い」となる。中でもめたい人は声を上げづらくなる。

関西クィア映画祭もトランスのことや「慰安婦」問題、アジアの映画など非主流的な活動、複合的なことを考えていると思う。

(マサキ)企業と行政が結合している大規模な団体は主流。ただし、行政にまったく働きかけなくていいと否定することは、それでも生きていける人だけ。

 

Q.理解する気も知る気もない人と対峙するとき心がけていることは?

A.(まめた)その場で言えなくても別の場でできることがあるかも。

(マサキ)いつかその人がLGBT当事者とまた出会った時に少しでも私と会ったことによって反応が違ったらいい。必ずしもそこで言い返さなくても、自分とその人が頻繁に会ってること自体がその人を変えてるかもしれない。

 

Q.結婚制度そのものについてはどのような議論がある?

A.(まめた)異性愛者とセクシュアルマイノリティでは前提がちがう。婚姻制度をなくしても、結婚できないゆえに生活してて不便することはどうなるのか。医療現場ではたとえ本人が希望しても、法家族が優先されてしまう。

(マサキ)婚姻できなくて困る理由は、他の社会制度の不備。もともと法的家族にもとづく保護からは、愛人、婚外子、認知されなかった子などが含まれない。私の優先順位として同性婚は下の方で、外堀を埋める作業をしたい。

(まめた)自分は若者の大変さに対応することを一生懸命やりたい。

 

*文量の都合上、特定の質問とコメントをピックアップさせていただきました。

 

【参加者の感想】 

 

◯朝大生のうちに朝大のみんなに性的マイノリティについて知らせる活動をだれもがいきいきと生きられる同胞社会を作るためにがんばろうと思いました。共感できて嬉しかったです。

 

◯お2人ともお話がとても上手で、素敵な言葉をお持ちだと思いました。それは、当事者としての痛みだけではなく、あらゆる加害者性や特権性と真に向き合っておられるからだと思いました。

 

◯自己紹介をいかにするのか。自分の特権性、マジョリティ性に対する認識が自身の特権性をアピール、排外された立場で声を上げるとき、大切であることを実感しました。

 

◯自分が感じていたモヤモヤ、言葉にできないひっかかりを生きた言葉で整理していただけた気持ちです。

 

◯マイノリティでもマジョリティ性を持っていて、そのマジョリティ性の特権を使って他のマイノリティと協働していくかの可能性を話してくれてありがとうございました。

 

◯活動のヒントをいろいろもらえた。すばらしい企画だと思う!

 

◯私はセクシュアルマイノリティ当事者ですが様々な差別やマイノリティ同士の差別がある事を知りハッとさせられました。

 


 

3がつ27にち、まさきちとせさんと えんどうまめたさんを おまねきして 「はいがいしゅぎと せくしゅありてぃを かんがえる」という たいとるで (2018ねん れんぞくこうざ「だれいき。あなたと わたしの 〈せい〉を かんがえる」だい1かい)、おはなしを うかがいました。

いか、とうじつの かんたんな ほうこくと さんかしゃの かんそうを きょうゆう させて いただきます。ぜひ ごいちどく ください!

 

**とうじつの らいぶ ほうそう どうがは こちらから ごらんに なれます

 

【ほうこく】

 

3がつ27にち、まさきちとせさんと えんどうまめたさんを おまねきし、だれいき。あなたと わたしの〈せい〉を かんがえる」だいいっかいこうざを いいだばし ぼらんてぃあ せんたーにて かいさいし、44めいが さんかしました。

 

まず、まさきちとせさんから 「しゅりゅう LGBT うんどうの かだい」という たいとるで おはなしが ありました。ぜんはんでは、じんざいはけんに かんする ぎょうむや ふぁっときゃっつという よるえいぎょうが ちゅうしんの おみせでの であいを とおして きづいたことや かんがえたことを はなされました。「いごこちの いいばしょでは なく、みんなが いごこちの わるさを ぶんたんする ばしょ」という こんせぷと(かんがえかた)で、LGBTQや せいぼうりょく さばいばー、ざいにちちょうせんじんを ふくむ ふくざつで たような まいのりてぃが いられる くうかんを めざしていること。「だれかが だれかに「おしえる」のではなく、あなたと わたしが しりあって その にんげんかんけいの なかで まなびあう」ことの たいせつさを じったいけんに ねざして おはなし しくださいました。

 

こうはんでは、LGBT ぶーむの なかで ひんこんしゃ、せいかつほご じゅきゅうしゃ、きゃりあを もたない ろうどうしゃ、かじょうろうどうの ひがいしゃ、きんりんあじあしょこくに るーつ(しゅつじ)を もつ ひと、せっくすわーかー とうとうが はいじょ されており、ふくごうさべつの してんに とぼしいと いう してきが ありました。せけんていの いい もはんてきな まいのりてぃが たようせいの しるしと して おしだす せいじかや じちたいが、ほーむれすはいじょや ぐんじりょくきょうかを しじしており、LGBTぶーむの なかで「だれがどう「まし」に なろうと しているのか」という といを なげかけられました。おはなしの さいごには おおきな LGBT だんたいの なかに とうぜんに 「みんぞくさべつ てっぱいぶかい」がなければ ならないと おっしゃいました。

 

つぎに、えんどうまめたさんから「はいがいしゅぎと せくしゅありてぃ」と いう たいとるで おはなしが ありました。ぼうとうの じこしょうかいでは、しゅっしんねんや ち、とらんすじぇんだーの きさいに くわえ、「にほんじんって かけば よかったけど、つごうよく にほんじんと かいたり けしたり できるのが にほんじんらしい」とおっしゃいました。

 

ぜんはんでは、どうせいあいしゃを しけいに した うがんだの どきゅめんたりーえいが『CallMeKuchu(こーるみーくちゅ)』を とっかかりに、とうじ かんじた なにもできない くやしさや のちの じょうえいうんどうの おはなしを なさいました。「にほんだと かんがえられない」とおもっていたが、じょうえいかいでざいにちちょうせんじんが 「にほんにも これあるじゃないか、ざいとくかいの でも あるでしょ」という いけんが あったこと。どうせいあいけんおが うがんだ しゃかいを おおう いっぽうで、しょくみんち じだいも いぎりす ていこくが せくしゅありてぃに かんする ほうを おしつけ、げんだいも せいようしょこくが ひなんし すぐに けいざいせいさいを して「じぶんたちの でんとう」を おびやかす という にんしきが うがんだ ないぶに あるという じれんま(むじゅん)を はなされました。

 

こうはんでは、ざいにちちょうせんじんとの であいに ついての かつてのに んしきや、「してものかい」での たいわを つうじて しった じしんが「にほんじん」であると いうことを じったいけんから かたってくださいました。そのなかで にほんこくせきとして ぱすぽーとが つかえる いっぽう、せくしゅあるまいのりてぃとして けっこんせいどを つかえないなど、じぶんが しょうすうはで ある ようそと たすうはである ようそが あることに きがついたと おっしゃいました。そして、LGBTとうじしゃから「ざいにちって せいかつほご おおいんでしょ」といわれ、りろせいぜんと いえず かなしくなり、「さべつって いつも おなじ かたちで あらわれるのに みんな きがつかないのは なんでだろう」という といを なげかけられました。

 

【くろすとーく&しつぎおうとう】

 

Q.おみせで さべつてきはつげんが あったら どのように たいおうする?

A.(まさき)しんきの おきゃくさんに さいしょから ちゅういしに いくことはないが、「ちょっと うちの みせでは そういうのやめて」といったり、かんけいせいが できてきたら じょうだんまじりに「うるせーよ!」と いったり、あいてを だまって したから うえまで みたりした。

(まめた)「いい ざいにちと わるい ざいにち いるよね」と いってるのを みて、「ねっとの じょうほうって まちがってること あるから きをつけたほうが いいよ」とつたえた。

 

Q.しゅりゅう LGBTの もんだいてん および ひしゅりゅうの ものとは?

A.(まめた)ぼうきぎょう(あるかいしゃ)は LGBTが はたらきやすいと する いっぽうで しゃいんが かろうしをしていたり。びょうどうの ていどが ひくい。

(まさき)びょうどうに つらいみたいな。ぼうふぁっしょんぶらんども れいんぼーしょうひんを ていあんしているが そもそも たかくて かえなかったり。ひえいりな LGBTだんたいでも びじねすらいくに かつどうしている ところが しゅりゅう。

(まさき)ひしゅりゅうの ものとしては、れいんぼー・あくしょんと いう だんたいが なんみんもんだいも とりあげて かつて かっぱつに かつどうしていた。いまは すくない。

(まめた)GIDがっかいの まえの ひに くたばれGIDがっかいが ひらかれ、みんなが こえを あげやすく なる。でも ごたごたした ところを みせないのが しゅりゅう。ぱれーどでも もめるひとに たいし「こわい」となる。なかで もめたい ひとは こえを あげづらく なる。

かんさい くぃあ えいがさいも とらんすの ことや「いあんふ」もんだい、あじあの えいがなど ひしゅりゅうてきな かつどう、ふくごうてきな ことを かんがえていると おもう。

(まさき)きぎょうと ぎょうせいが けつごう している だいきぼな だんたいは しゅりゅう。ただし、ぎょうせいに まったく はたらきかけなくて いいと ひていすることは、それでも いきていける ひとだけ。

 

Q.りかい するきも しるきも ない ひとと たいじするとき こころがけている ことは?

A.(まめた)そのばで いえなくても べつのばで できることが あるかも。

(まさき)いつか そのひとが LGBTとうじしゃと また であった ときに すこしでも わたしと あったことに よって はんのうが ちがったら いい。かならずしも そこで いいかえさなくても、じぶんと そのひとが ひんぱんに あってること じたいが そのひとを かえてるかも しれない。

 

Q.けっこんせいど そのものに ついては どのような ぎろんが ある?

A.(まめた)いせいあいしゃと せくしゅある まいのりてぃでは ぜんていがちがう。こんいんせいどを なくしても、けっこん できない ゆえに せいかつしてて ふべんすることは どうなるのか。いりょうげんばでは たとえ ほんにんが きぼうしても、ほうかぞくが ゆうせん されてしまう。

(まさき)こんいん できなくて こまる りゆうは、たの しゃかいせいどの ふび。もともと ほうてき かぞくに もとづく ほごからは、あいじん、こんがいし、にんち されなかった こ などが ふくまれない。わたしの ゆうせんじゅんい として どうせいこんは したのほうで、そとぼりを うめる さぎょうをしたい。

(まめた)じぶんは わかものの たいへんさに たいおう することを いっしょうけんめい やりたい。

 

*ぶんりょうの つごうじょう、とくていの しつもんと こめんとを ぴっくあっぷ させて いただきました。

 

【さんかしゃの かんそう】

 

◯ちょうだいせい(ちょうせんだいがっこうの がくせい)の うちに ちょうだいの みんなに せいてきまいのりてぃに ついて しらせる かつどうを だれもが いきいきと いきられる どうほうしゃかいを つくるために がんばろうと おもいました。きょうかん できて うれしかったです。

 

◯おふたりとも おはなしが とても じょうずで、すてきな ことばを おもちだと おもいました。それは、とうじしゃと しての いたみだけでは なく、あらゆる かがいしゃせいや とっけんせいと しんしに むきあって おられるからだと おもいました。

 

◯じこしょうかいを いかにするのか。じぶんの とっけんせい、まじょりてぃせいに たいする にんしきが じしんの とっけんせいを あぴーる、はいがいされた たちばで こえを あげるとき、たいせつで あることを じっかん しました。

 

◯じぶんが かんじていた もやもや、ことばに できない ひっかかりを いきた ことばで せいり していただけた きもちです。

 

◯まいのりてぃでも まじょりてぃせいを もっていて、その まじょりてぃせいの とっけんを つかって たの まいのりてぃと きょうどう していくかの かのうせいを はなして くれて ありがとうございました。

◯かつどうの ひんとを いろいろ もらえた。すばらしい きかくだと おもう!

 

◯わたしは せくしゅある まいのりてぃ とうじしゃですが さまざまな さべつや まいのりてぃ どうしの さべつが あることを しり はっと させられました。