9/29(日) 〈ポグムチャリver.1in関東〉性や民族にまつわる「もやもや」を考えよう 報告


* * ふたつめは かんじ なし * *

今回は、名古屋からフェミニスト・カウンセラーの具ゆり(Koo Yuri)さんをお迎えして、女性であり、朝鮮人であることによる「もやもや」や「生きづらさ」について考えてみました

前半では、参加者全員が名前(ニックネームも可)、好きな色、何を期待して参加しているか、を共有しました。参加者は22人で、20代から60代まで、職業も学校歴もさまざま、そして、自分の抱えるもやもやだけではなく、仕事や私生活で出会う人々のかかえるもやもやに、どのようにアプローチすればいいのかを学びたい、など参加の動機もさまざまでした。お互いを知り、少しリラックスしたあとで、ゆりさんのレクチャーを聞き、もやもやの正体に迫りました。

残念ながら、私たちの生きる社会は、肉体的・言語的な暴力や圧力が溢れています。それらをなくしたり、変えたりするのには、とてつもない時間や労力がかかるし、ましてや一人ではできない。悲しいことに、他人のスペース(身体的・精神的)にどかどか入ってこようとする人はいつでも、どこにでも存在します。重要なのは、自分の中でそれらの「雑音」をどうブロックして、むやみに揺さぶられないようにするか、であり、他者(外部)と自分(内部)との間に心地のよい距離感を作って、お互いに尊厳を保ちながら、関係をもつ方法を自分なりに見つけることだと。

Yesというのも、Noというのも自分。他者の価値観や行動を変えることよりも、自分がその他者とどうかかわっていくのか、かかわりをやめたいのか。かかわりを続けたい場合、どのような形で続けることが望ましいのか、自分の心に一つずつ聞いて、確かめて、それを実行していくことで、自分を大切にしながら、他者とつながっていくことができるのだと、ゆりさんは締めくくってくれました。

後半では、前半のレクチャーを元に、それぞれ3人から4人のグループになり、最近もやもやしていることを共有しました。職場での悩み、家族や友人とのちょっとした違和感、自信が持てない自分への思い、など様々な話が挙がりました。女性は特に、過剰に責任を感じる傾向があるそうです。自分の感情やニーズは後回しにして、周りの人に目が向いて、行動してしまう。在日同胞家庭で育った人はなおさらそうではないでしょうか。日本社会で生き抜くため(という理由で)何よりも民族を優先した結果、女性は長らく声を奪われてきました。ジェンダー規範を強化する家庭環境で、女性は女性らしく、というのを女性自身が一番内面化してしまい、教育を受けたり、好きな仕事についたり、結婚をする・しない、子どもをもつ・もたない、など様々なライフステージで選択を制限されるだけでなく、むしろ自ら諦めてしまった方も少なくないと思います。

女性であることも、朝鮮人であることも、自分らしくいられることも、自分を幸せにできるのは結局自分しかいないんだと思います。その過程で、悩みを共有できる仲間や、ゆりさんのような専門家のお力に、もっともっと頼っていいのではないかと思いました。

今回名古屋からお越し下さったゆりさんと、参加者のみなさんと共有した貴重な時間に感謝いたします。

 


 

こんかいは、なごやから フェミニスト・カウンセラーの くゆり(Koo Yuri)さんを おむかえして、じょせいであり、ちょうせんじんで あること による 「もやもや」や 「いきづらさ」に ついて かんがえてみました

ぜんはんでは、さんかしゃ ぜんいんが なまえ(ニックネームも か)、すきないろ、なにを きたい して さんか しているか、を きょうゆう しました。さんかしゃ は22にんで、20だい から 60だい まで、しょくぎょうも がっこうれきも さまざま、そして、じぶんの かかえる もやもや だけでは なく、しごとや しせいかつで であう ひとびとの かかえる もやもやに、どのように アプローチ すれば いいのかを まなびたい、など さんかの どうきも さまざま でした。おたがいを しり、すこし リラックス した あとで、ゆりさんの レクチャーを きき、もやもやの しょうたいに せまりました。

ざんねんながら、わたしたちの いきる しゃかいは、にくたいてき・げんごてきな ぼうりょくや あつりょくが あふれています。それらを なくしたり、かえたり するのには、とてつもない じかんや ろうりょくが かかるし、ましてや ひとりでは できない。かなしい ことに、たにんの スペース(しんたいてき・せいしんてき)に どかどか はいってこようと する ひとは いつでも、どこにでも そんざい します。じゅうようなのは、じぶんの なかで それらの 「ざつおん」を どう ブロックして、むやみに ゆさぶられない ように するか、であり、たしゃ(がいぶ)と じぶん(ないぶ)との あいだに ここちの よい きょりかんを つくって、おたがいに そんげんを たもちながら、かんけいを もつ ほうほうを じぶんなりに みつける ことだと。

Yesというのも、Noというのも じぶん。たしゃの かちかんや こうどうを かえること よりも、じぶんが その たしゃと どう かかわっていくのか、かかわりをやめたいのか。かかわりを つづけたい ばあい、どのような かたちで つづける ことが のぞましいのか、じぶんの こころに ひとつずつ きいて、たしかめて、それを じっこう していく ことで、じぶんを たいせつに しながら、たしゃと つながっていく ことが できるのだと、ゆりさんは しめくくってくれました。

こうはんでは、ぜんはんの レクチャーを もとに、それぞれ 3にんから 4にんの グループに なり、さいきん もやもや していることを きょうゆうしました。しょくばでの なやみ、かぞくや ゆうじんとの ちょっとした いわかん、じしんが もてない じぶんへの おもい、など さまざまな はなしが あがりました。じょせいは とくに、かじょうに せきにんを かんじる けいこうが あるそうです。じぶんの かんじょうや ニーズは あとまわしに して、まわりの ひとに めが むいて、こうどうして しまう。ざいにち どうほう かていで そだった ひとは なおさら そうでは ないでしょうか。にほんしゃかいで いきぬく ため(というりゆうで) なによりも みんぞくを ゆうせん した けっか、じょせいは ながらく こえを うばわれてきました。ジェンダーきはんを きょうかする かていかんきょうで、じょせいは じょせいらしく、というのを じょせいじしんが いちばん ないめんかし てしまい、きょういくを うけたり、すきな しごとに ついたり、けっこんを する・しない、こどもを もつ・もたない、など さまざまな ライフステージで せんたくを せいげん される だけでなく、むしろ みずから あきらめて しまった かたも すくなくないと おもいます。

じょせいで ある ことも、ちょうせんじんで ある ことも、じぶんらしく いられることも、じぶんを しあわせに できるのは けっきょく じぶんしか いないんだと おもいます。その かていで、なやみを きょうゆう できる なかまや、ゆりさんの ような せんもんかの おちからに、もっと もっと たよって いいのではないかと おもいました。

こんかい なごやから おこしくださった ゆりさんと、さんかしゃの みなさんと きょうゆうした きちょうな じかんに かんしゃ いたします。