▼講座内容の振り返り
△はじめに(自己紹介)
イダさんは、自殺防止の電話相談や個別相談、
80年代からは、「結婚して男が女を養う」
1 ジェンダー秩序から導かれる現状…カップル単位社会
ここでは、男と女が結婚するのが普通であり幸せである。
社会で主流となっている価値観や「偏差値」(=容姿、学歴、
また、北欧のシングル単位社会(
男性が働き、
ここでは特に、働きすぎ防止や保育の保障など、
2 「性の多様性」から導かれる結論
ここでは、男女二分法をこえ、
「シングル単位」というのは、2人はひとつと見ず、
「ひとり=恋人がいない状態」というと、多くの人は反射的に「
カップルというカタチがあるから必ず幸せというわけでもなければ
講座は最後に、
☆:…:☆寄せられた感想から☆:…:☆
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話を聴きながら自分が当たり前に行っていたことがセクハラになり
男女平等が当然と思っていましたが自分自身が平等な行動をしてい
最後のDV論は大変ためになりました。
▼今まで悩んでいたことがスーッととけるような感じがしました。
教育現場に立つものとしてふみこんだ教育をしていかなければなら
▼おかしいと思っていても、
特にDVについてどうなればよいのか話されているのを聞いて、
主流秩序に加担しないように、
▼特に恋愛論、結婚論で共感する部分が多かったです。
私の大学でも誰でもかれでも引っつけばいい、
誰かといなければいけないという意識が強く個人を尊重する社会を
▼上から社会制度・政策をえらそうに語るのではなく、
▼
一番心に残っている部分は「恋人以外の人にも優しい人」
*2014年連続講座の内容及び「在日同胞のジェンダー意識に関するアンケート」結果については、下記書籍にてすべてお読みいただけます*
『だれもがいきいきと生きられる社会のために 性差別撤廃部会連続講座の記録&「在日同胞のジェンダー意識に関するアンケート」結果報告書』
▼こうざないようのふりかえり
△はじめに(じこしょうかい)
いださんは、じさつぼうしのでんわそうだんやこべつそうだん、ろうどうしゃのためのこうしょうなどをおこなうかたわら、じぇんだーもんだい、とくにでーとDVについてのこうえんを、ねんかん80かいぜんごおこなわれています。。
80ねんだいからは、「けっこんしておとこがおんなをやしなう」のがとうぜんとされるしゃかいてきわくぐみや、せいのたようせいがむしされることについて つよいもんだいいしきをもってかつどうしてこられました。とくにかていもんだいやせくはら、ぱわはら、せくしゃるまいのりてぃへのさべつ、DVなど、みぢかなもんだいに じゅうてんをおいてとりくんでこられました。
1 じぇんだーちつじょからみちびかれるげんじょう…かっぷるたんいしゃかい
ここでは、おとことおんながけっこんするのがふつうであり しあわせである。そうでないものはけつらくしていてふこう、こどくであるというおはなしでした。。。
しゃかいでしゅりゅうとなっているかちかんや「へんさち」(=ようし、がくれき、ねんしゅう、せいしゃいんかいなか、etc.)にもとづいたしゅりゅうちつじょおよびじぇんだーちつじょ(=おとこ/おんならしい、びじん/かっこいい、せいしゃいんかいやか、けっこんしているか、こどもがいるか、etc.)がそんざいし、そのちつじょによってわたしたちはかちぐみ・まけぐみ、もてる・もてない、うえ・したというかぜにわけられます。
また、ほくおうのしんぐるたんいしゃかい(こじんをしゃかいのきほんたんいとするはっそう)とのひかくをもちいながら、にほんはかっぷるたんいしゃかい(かっぷるをしゃかいのきほんたんいとするはっそう)であるということがしてきされました。
だんせいがはたらき、じょせいがいくじやかじをするといったじぇんだーきはんのもとになりたつにほんしゃかいでは、しゃかいせいどもいしきもしょくば(ろうどうのありかた)もかっぷるたんいです。かっぷるたんいしゃかいでは、かじょうきょうそうのなかでしゅりゅうちつじょからはずれたものがふりになり、また、じょせいのていちんぎんやせいさべつ、ふびょうどう、せいべつやくわりぶんぎょうのじじつじょうのきょうせい、しょうしか、DVなどのもんだいがしんこくです。
ここではとくに、はたらきすぎぼうしやほいくのほしょうなど、はたらくじょせいへのしえんがふそくしていることがおおきなげんいんとなっています。また、だんせいもじょせいどうようにいくじきゅうかなどをおおくりようすることによって、ろうどうにおけるじょせいへのさべつはへるのではないかというしてきもありました。(しんぐるたんいのしこう)
2 「せいのたようせい」からみちびかれるけつろん
ここでは、だんじょにぶんほうをこえ、ひゃくにんひょくようのせいがあるということをみとめあう。そしてしんぐるたんいにめをむけていくということがていきされました。(たようせいのほしょう)「しんぐるたんい」というのは、ににんはひとつとみず、あいてをじぶんのものとおもわず、きょうかいせんをそんちょうし、てきどなきょりをとることをいじしようとするものです。
「ひとり=こいびとがいないじょうたい」というと、おおくのひとははんしゃてきに「こどく、さびしい、だめ、ひとりぼっち、こりつ」といういめーじでひていてきにとらえてしまいます。しかし、“ひとり”ということにもせっきょくてきないみがあります。それはかならずしも、「こどくでひとづきあいがなく、せいかつにはりあいがない」ということをいみしません。したしいひと(おややこどもやゆうじん)やぺっとなどに、あいをそそぐこともできるし、あいをそそがれるばあいもあります。
かっぷるというかたちがあるからかならずしあわせというわけでもなければ、ひとりもの、ひとりぐらしだからかならずふしあわせということでもありません。かたちだけできまるほど、じんせいというものはそこのあさいものではありません。こうざはさいごに、DVについてかんしんをもってまなぶことがじゅうようといういださんのことばでしめくくられました。
☆:…:☆よせられたかんそうから☆:…:☆
▼じぇんだーろんにかんしてあまりきょうみがなくしるきかいとしてきょうさんかしました。はなしをききながらじぶんがあたりまえにいっていたことがせくはらになり、あいてにひがいをくわえているということをかんじました。だんじょびょうどうがとうぜんとおもっていましたが じぶんじしんがびょうどうなこうどうをしていなかったことにはずかしさをかんじました。さいごのDVろんはたいへんためになりました。
▼いままでなやんでいたことがすーっととけるようなかんじがしました。じぶんじしんがちつじょにどれだけとらわれていたのかをみにしみかんじました。きょういくげんばにたつものとしてふみこんだきょういくをしていかなければならないとおもいました!「しんぐるたんい」でかんがえ、じりつしんをそだてるきょういくをしていかなければ、とせきにんかんがうまれました。
▼おかしいとおもっていても、ぐたいてきにどうおかしいのかわからなかったことについて、わかりやすいせつめいがあってありがたかったです。とくにDVについてどうなればよいのかはなされているのをきいて、せんせいのかんがえかたは、みんなにやさしくて、きいていてしあわせなきもちになれるすてきなりろんだとかんじました。ほんとうにむねをうたれるこうえんでした。しゅりゅうちつじょにかたんしないように、いろんなことについてかんがえなおそうとつよくおもいます。
▼とくにれんあいろん、けっこんろんできょうかんするぶぶんがおおかったです。わたしのだいがくでもだれでもかれでもひっつけばいい、というかんじがなりたっているので いまのわかいせだいこそきょうのいだひろゆきせんせいのこうぎをきくべきだとおもいました。だれかといなければいけないといういしきがつよくこじんをそんちょうするしゃかいをつくらなければいけないとおもいました。
▼うえからしゃかいせいど・せいさくをえらそうにかたるのではなく、ひとりひとりのそうだんからかんがえ、こじんこじんからかえていくといったせんせいのしせいにはすごくきょうかんしました。
▼はなしをきいてるうちにこのいまのにほんしゃかいではだんじょはかならずふたりにならないといけないというこていかんねんをもっているとあらためておもいました。いちばんこころにのこっているぶぶんは「こいびといがいのひとにもやさしいひと」というふれーずでした。こんなひとたちがたくさんいたらDVでこまるひとたちはへるとおもいました。そうするとへんなかっぷるたんいな しゃかいからぬけだせるのではないのかなとおもいました。
*2014ねんれんぞくこうざのないようおよび「ざいにちどうほうのじぇんだーいしきにかんするあんけーと」けっかについては、かきしょせきにてすべておよみいただけます
*『だれもがいきいきといきられるしゃかいのために せいさべつてっぱいぶかいれんぞくこうざのきろく&「ざいにちどうほうのじぇんだーいしきにかんするあんけーと」けっかほうこくしょ』