ハフィントンポストというインターネットメディアに「男性は知らない。すべての女性がやっていることを。」という記事が掲載された。久しぶりにビリビリとする内容で、ぜひ機会があればイオの読者にも読んでいただきたいのだが、概要を私なりに説明するとこうである。

 女性たちは性の意味を知らない少女の頃から性的な対象と見られ、声をかけられ不快に思ってもどうしていいか分からず、何もなかったように振る舞う。このことに正面から立ち向かうとさらに危険な目に遭うことを女性たちは身をもって知っている。しかし、日常で女性たちが無意識にあるいは意識的に性差別と性犯罪の危険を回避し続けていることを男性たちは知らない。最後に、この記事では男性たちにこう訴えている。

「耳を傾けてください。あなたが生きている現実と彼女の現実は違うから。耳を傾けてください。彼女の心配は大げさでも誇張されてもいないから。耳を傾けてください。彼女か彼女の知り合いが、過去に虐待されたり、暴行されたり、強姦されたりしています。それが自分にも起こりうると彼女は知っているのです」(原文引用)

 そう、男性たちにただただ女性の話を聞いてほしいと言っているのである。性差別をするな、性犯罪をするなということではなく、寄り添って聞いてほしいと静かに強く訴えているこの記事にショックを受けると同時に、様々な経験を思い出した。

 私が地方から上京して右も左も分からなかった大学生の頃、バイト帰りの電車の中で男性2人組が片っ端から車内の女性に声をかけていた。自分の方に来なければいいなと思い、緊張のまま最寄駅で降りたら、後ろからその男性2人が降りてきて声をかけられた恐怖。何とか拒否したものの、住んでいたアパートが駅から遠かったため、追いかけられたらどうしようと思い、同居していた兄に電話したが「タクシーに乗れば?」とあっけなく言われたこと。

 仲の良い女性の先輩が一人で映画を観に行った時、映画館に自分一人と男性が一人しかおらず、身の危険を感じた話をパートナーにしたら、「男性がみんな犯罪者だと思うのやめなよ」と言われたという話を聞いたこと。

 恐怖を感じている女性たちからすれば必死の訴えなのに、男性からすれば「そんなことか」「大げさな」などと流されているたくさんのこと。

 この記事は私の周りでもfacebooktwitterなどでシェアされていたのだが、コメント欄は惨憺たるものであった。「男性も痴漢冤罪の被害に怯えている」「男性を決めつけるな。逆差別だ!」「女性の皆さん頑張って下さい」などなど。話を聞いてほしい、耳を傾けてほしいと言っているのに、全く違った方向から批判をして加害者ではないことを必死に証明しようとするコメントの数々にため息が出た。これらはネット上だけのことではなく現実社会でも一緒である。

 私たちだってできれば空気を読んで性差別や性犯罪まがいのことをやんわりと否定するか笑い飛ばしたい。それでも批判を口にする時、どれほどの覚悟で私たちが声を上げているのか、想像して話を聞いてほしい。男性、女性を問わず、聞くことから真の理解が始まるのではないだろうか。(李全美 在日本朝鮮人医学協会職員)

 

●月刊イオ2016年4月号に掲載

【イラストに込めた意味】無意識に、あるいは意識的に浴びせられる視線と、そこから生まれる感情、言葉に、耳を傾けてみること。腑に落ちるまで想像し、考えてみること。

illustration_宋明樺