視線がぶつかった瞬間、時が止まったように見つめ合う女性と女性。自分を「飾り物」のように扱う夫や男性パートナーに苛立つ日常のなか、抗いようもなく惹かれ合い、旅先で愛を交わす。しかし、離婚と娘の親権を望む妻・キャロルに執着する夫によって尾行・盗聴されていたことがわかり、自らの行いを悔やむテレーズ。「私があなたの誘いを断っていれば…」。愛する人を想うがゆえ、涙が溢れる。テレーズを見つめ、包むように話すキャロル――“It’s not your fault(あなたは悪くない)”。1950年代の米国を舞台にした映画『キャロル』のワンシーンだ。

 「男に襲われても死ぬ気で抵抗しなかった女が悪い」「男に殴られても別れない女が悪い」「男の言うことを聞かない女が悪い」「男なみに働けない女が悪い」「一途に男を愛さない女が悪い」…女性たちに向けられる数多の暴力的なメッセージに対してフェミニズムは、悪いのは「性」を理由に人びとに優劣をつけ、女性側に落ち度があるかのような規範や制度をつくりあげている社会構造そのものである、だから――「あなたは悪くない」――というメッセージを絶えず発してきた。テレーズとキャロルの愛が「悪い」のではなく、真に悪いのは、女性を男性の所有物として扱うことが是とされ、一人の異性に縛られない性愛のあり方が「非道徳」「精神疾患」として異端視・病理化される社会の側なのだ。

 フェミニズムの思想が体現されたキャロルの言葉は、私の胸に強烈に響くと同時に、かの事件を思い出させた。2009年12月、京都。十数名の男性がウリハッキョの校門前で日の丸を掲げ怒号を叫ぶなか、一体なにが起きているかすら分からないけれども、初級部の上級生は下級生を抱きしめながら、ひたすらこう語りかけていたという――「大丈夫、なにも悪くないよ」。

 そう、いつだって、排除する側は排除される側に非があるかのような言説や制度をつくりあげ、排除される側が「私が悪い」と思いこむよう仕向けてくる。だからこそ「あなたは悪くない」「私は悪くない」というかくも短い言葉が、かくも強い自己防衛と自己肯定の支柱となるのではないだろうか。この点に私は、民族/人種/性別/性自認/性的指向/貧困/障害/年齢など、様々な理由で「私が悪い」と思わされている人びとの間の、連帯と社会変革の可能性を見る。

 映画の後半でキャロルは、「精神疾患」を「克服」したことにして離婚調停を有利に進めようとする弁護士を遮り、テレーズとの時間を肯定することで、涙ながらに娘の親権を諦める――「このままじゃ私が私らしくいられない、自分を偽って生きるのは耐えられない」。

 自分が自分らしくあることを許そうとしない社会の暴圧を前に、なおも輝く尊厳の光を、私も放ち続けられたら、と思う。そしてそのような社会を、一人でも多くの人と変えていけたら。在日朝鮮人として、女性として、セクシュアル・マイノリティとして。(金優綺 在日本朝鮮人人権協会事務局/朝鮮大学校講師)

●月刊イオ2016年7月号に掲載したものを一部修正

【イラストに込めた意味】「あなたは悪くない」ーーー誰もが呪縛から解放され、堂々と生きていいと思える、魔法の言葉。

illustration_宋明樺