アイヌ女性 壮絶な差別体験/宇梶静江さんの話に共感広がる
宇梶静江さん
都内で6月29日に行われた在日本朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会2017年連続講座「だれいき※!マイノリティ女性からみる日本社会~アイヌ、琉球・沖縄、部落、在日朝鮮人~」第二回「アイヌ女性として生まれることアイヌ女性として生きること」での宇梶静江さん(84)の訴えは、参加者たちの心を大きく響かせた。(アイヌとは「人」という意味。アイヌ民族から見て日本人は、「和人」という。)
詩人・古布絵作家・絵本作家として文化活動を進める傍ら、アイヌ解放運動家・アイヌ文化の継承者として奮闘している宇梶さんは冒頭で、「『イランカラプテ』。これはアイヌのあいさつで、『あなたの心にそっと触れさしていただきます』という意味。一緒に心を一つにして、問題を考えていけたらと思います」としながら、自身が「頭の先から足の先までたっぷり受けて感じてきた」差別について語った。
1899年、明治日本政府は「土人法(北海道旧土人保護法)」を制定。その中で、北海道の大地を全て日本政府のものにした。そしてアイヌ民族の人々は「旧土人」と名付けられ、土地を取り上げられ、それまでの生活習慣(髪型、刺青、ことばなど)も奪われた。
宇梶さんが「アイヌのくせに」、「女のくせに」と受けてきた差別の実態は壮絶なものであった。
「恋愛なんて考えられなかった」という宇梶さん。アイヌ女性は恋愛でも差別され、利用されたという。
宇梶さんは「和人の男の子と恋愛していたアイヌの女の子、結婚の時期になると捨てられて、結局、男の子は和人同士で結婚していました。そんな光景をよく目にしていたから、私は和人と恋愛したくなかったんです」としながら、「かといってアイヌの男の子ともしたくありませんでした。私たちは『毛人』と言われる毛深い民族。『毛深い』と差別の対象にされ、大きなコンプレックスでした。アイヌ同士で結婚したら、私みたいに傷つく子どもがまた生まれてしまうと思って…」と話した。
宇梶さんは訴えた。
「『知らない』ということは弱さと繋がっている。差別されることに抵抗心を持っていても、何も知らなかったら、何も主張できない」
この日参加した20代の同胞女性は「心にすっと入ってくるものがあって、自然に涙があふれた。生き様はそれぞれ違っても、共感する言葉が沢山あった」と感想を述べた。
講演中、宇梶さんは瞳を輝かせてこんな話もした。
「私が12歳のとき、戦争が終わりました。町のバスに乗ると、見たことないような、とっても垢抜けていて素敵な男の人たちが一緒に乗っていたんです。『タコ部屋』から解放された朝鮮の青年たちでした。すごくかっこいいんです、あの人たち。飴も作れるし色んな技術を持っていらっしゃるの」
「村に来た朝鮮の子たちの中には、お母さんがいなかったり、お父さんがいない子が沢山いました。だから親が仕事に出かけると昼は一人ぼっちなんです。そんな子たちがよく私の家にも来ました。その時は、大きな鉄鍋で茹でたジャガイモをみんなで一緒に食べたんです。私は朝鮮って言葉が大好き。一緒に遊んだ朝鮮のお友だちは、アイヌと仲良しだったから」
※「だれいき」~性差別撤廃部会の合言葉「だれもがいきいきと生きられる社会のために」の略称
(李鳳仁)