大学時代、写真部に所属していた。自分でフィルムを現像したり、暗室で白黒写真をプリントしたり、部展に作品を出展したり。またミニシアターにも頻繁に通い、商業映画以外の作品とたくさん出会った。今でも建築物を見るのが好きで、引っ越しの予定もないのに毎日ネットで物件漁り。本当は、写真家、映画製作、建築家など、何かを生み出す職業に就きたかった。でも、秀でた才能もなければ、飛び抜けた感性もない平凡な自分。死ぬほど努力してまで挑戦しようという情熱もなくて、結局これらの職業は夢にさえならなかった。
そんな凡人の私にとって「学問」は平等なものに思えた。だれでもある程度、本を読んだり勉強すれば、問題を解くこともできるし、物事を理解したり知識を蓄積することができるからだ。当時の私には、在日でも、女でも、凡人でも「成功できる」チャンスがある、と感じられたのが「学問」の世界だった。
でもそれが幻想だったということを最近実感している。「あんたは女の子やし、文系やし、院卒やし、在日やし、四重苦やで」。これは同世代の知人が就職活動中に母から言われたという言葉である。現在も、大学の任期なしのポストを探している私は、さらに「30代」というハードルが加わり、絶賛「五重苦」体感中。
カリフォルニアから東京へ移り住み、仕事を始めて驚いたのが、女性の同僚が圧倒的に少ないということだった。例えば、「研究者に占める女性割合の国際比較」(内閣府男女共同参画局、2010年)によると、米国の34.3%に対して日本は13.0%。また女性研究者の圧倒的多数は「助手」や「講師」など、契約期間がある不安定なポストに集中している。日本においてここまで女性研究者が少ないのは、根本的に女性が知性を持つことに対してネガティブな感情があるからではないだろうか。
「女子学生向けの住まい支援」を導入すると発表して物議を醸した東京大学の学部課程に在籍する女子の割合(17年)は19.4%で、ハーバード大学 (49%)、ソウル大学(40%)、シンガポール国立大学(52.7%)など、世界有数の大学と比較しても極端に低いことが分かる。「東大女子」は就職も恋愛・結婚も東大ということがハンデになって不利になるらしい。「女は愛嬌」神話が根強く残り、知性がある(とされる)女は忌み嫌われる、それがこの社会の求める「普通の女性」なのだ。
モテメイク、女子力、ダイエット…。女の生き方を画一化し、身体、精神、表現の多様性を規制するモノが商品化されているこの社会において、女で、文系で、院卒で、在日朝鮮人で、30代独身の私が「平凡な幸せ」を手に入れる為には、「普通の女性」を過剰に求める社会と向き合い、それを一つずつ解体していくしかないのだと思う。そのために、差別と特権の構造を理解し、社会的に弱い立場の方々に寄り添い、平等な機会を保証する手段としての「学問」が必要なのだと、自分自身に言い聞かせながら今日も教壇に立っている。(河庚希●大学教員)
●月刊イオ2017年11月号に掲載
illustration_宋明樺
だいがくじだい、しゃしんぶに しょぞくしていた。じぶんで ふぃるむを げんぞうしたり、あんしつで しろくろしゃしんを ぷりんとしたり、ぶてんに さくひんを しゅってんしたり。また みにしあたーにも ひんぱんに かよい、しょうぎょうえいが いがいのさくひんと たくさん であった。いまでも けんちくぶつを みるのが すきで、ひっこしの よていもないのに まいにち ねっとで ぶっけんあさり。ほんとうは、しゃしんか、えいがせいさく、けんちくかなど、なにかを うみだす しょくぎょうに つきたかった。でも、ひいでた さいのうも なければ、とびぬけた かんせいもない へいぼんな じぶん。しぬほど どりょくしてまで ちょうせんしようという じょうねつもなくて、けっきょく これらの しょくぎょうは ゆめにさえ ならなかった。
そんな ぼんじんのわたしにとって「がくもん」は びょうどうなものに おもえた。だれでも あるていど、ほんをよんだり べんきょうすれば、もんだいを とくことも できるし、ものごとを りかいしたり ちしきを ちくせきすることが できるからだ。とうじの わたしには、ざいにちでも、おんなでも、ぼんじんでも「せいこうできる」ちゃんすがある、と かんじられたのが「がくもん」の せかいだった。
でも それが げんそうだったということを さいきん じっかんしている。「あんたは おんなのこやし、ぶんけいやし、いんそつやし、ざいにちやし、しじゅうくやで」。これは どうせだいの ちじんが しゅうしょくかつどうちゅうに ははから いわれたという ことばである。げんざいも、だいがくの にんきなしの ぽすとを さがしている わたしは、さらに「さんじゅうだい」という はーどるが くわわり、ぜっさん「ごじゅうく」たいかんちゅう。
かりふぉるにあから とうきょうへ うつりすみ、しごとをはじめて おどろいたのが、じょせいの どうりょうが あっとうてきに すくないということだった。たとえば、「けんきゅうしゃに しめる じょせいわりあいの こくさいひかく」(ないかくふだんじょきょうどうさんかくきょく、2010ねん)によると、べいこくの34.3ぱーせんとに たいして にほんは13.0ぱーせんと。また じょせいけんきゅうしゃの あっとうてき たすうは「じょしゅ」や「こうし」など、けいやくきかんがある ふあんていな ぽすとに しゅうちゅうしている。にほんにおいて ここまで じょせいけんきゅうしゃが すくないのは、こんぽんてきに じょせいが ちせいを もつことにたいして ねがてぃぶな かんじょうが あるからではないだろうか。
「じょしがくせいむけの すまいしえん」をどうにゅうすると はっぴょうして ぶつぎを かもした とうきょうだいがくの がくぶかていに ざいせきする じょしのわりあい(17ねん)は19.4ぱーせんとで、はーばーどだいがく (49ぱーせんと)、そうるだいがく(40ぱーせんと)、しんがぽーるこくりつだいがく(52.7ぱーせんと)など、せかいゆうすうの だいがくと ひかくしても きょくたんに ひくいことが わかる。「とうだいじょし」は しゅうしょくも れんあい・けっこんも とうだいということが はんでになって ふりになるらしい。「おんなは あいきょう」しんわが ねづよくのこり、ちせいがある(とされる)おんなは いみきらわれる、それが このしゃかいの もとめる「ふつうの じょせい」なのだ。
もてめいく、じょしりょく、だいえっと…。おんなのいきかたを かくいつかし、しんたい、せいしん、ひょうげんの たようせいを きせいするものが しょうひんかされている このしゃかいにおいて、おんなで、ぶんけいで、いんそつで、ざいにちちょうせんじんで、30だいどくしんの わたしが「へいぼんな しあわせ」を てにいれるためには、「ふつうの じょせい」を かじょうにもとめる しゃかいと むきあい、それを ひとつずつ かいたいしていくしか ないのだとおもう。そのために、さべつと とっけんの こうぞうを りかいし、しゃかいてきに よわいたちばの ひとびとに よりそい、びょうどうな きかいを ほしょうする しゅだんとしての「がくもん」が ひつようなのだと、じぶんじしんに いいきかせながら きょうも きょうだんに たっている。(は・きょんひ●だいがくきょういん)
●げっかんいお2017ねん11がつごうにけいさい
illustration_そんみょんふぁ