** ふたつめは かんじ なし **
6月12日、イトー・ターリさんを迎えて「表現とセクシュアリティを考える」というタイトルで(2018年連続講座「だれいき。あなたとわたしの<性>を考える」第2回)、お話をうかがいました。
以下、当日の簡単な報告と参加者の感想を共有させていただきます。ぜひご一読ください!
**当日のライブ放送動画はこちらからご覧になれます。
【報告】
6月12日、イトー・ターリさんをお招きし、「だれいき。あなたとわたしの〈性〉を考える」第2回講座を飯田橋・東京市民活動ボランティアセンターにて開催し、42名が参加しました。
イトー・ターリさんご自身の自己紹介(1951年生まれ、オランダでの経験、ウィメンズアートネットワーク(WAN)、PA/F SPACEの運営をされてきたことなど)のあと、パフォーマンスアートとはどのようなものなのかについて、1920年代以降の世界中のパフォーマーたちによるパフォーマンスのスライドを使用しながらご説明くださいました。
ターリさんは、1987年からパフォーマンスアートをされ始め、特に1996年以降、セクシュアリティや日本軍「慰安婦」をテーマにしたパフォーマンスをされてきたそうです。1990年に「ジェンダー」という言葉と出会って「これで生きていける。表現も続けられそう」と思われたとのこと。パフォーマンスアートとは「わたし自身」であり、すべて「わたし」に返ってくるため、ご自身のセクシュアリティのことを横に置いてはおけないと思い、1996年に行った「自画像」というパフォーマンスの中で、ご自身がレズビアンであることをカミングアウトされたそうです。この「自画像」パフォーマンスのダイジェスト映像を10分ほど見せてくださったのですが、体や床一面にラテックスゴムを塗りつけ、力いっぱい剥がしていく様子や、「あなたは誰ですか?」の質問にご自身で答えながらカミングアウトしていくパフォーマンス映像を、参加者のみなさんは息を呑んで観ていました。
この「自画像」はしかし、パフォーマンスを前にして、いくつかの女性センターから「レズビアンという言葉を使わないでください」「府民には早すぎます」と言われたということで、結果的に「女を愛する女」という表現に変えざるを得なかったというお話もしてくださいました。この「自画像」のあとは「わたしを生きること」(1998年)、「恐れはどこにある」(2001年)、「虹色の人々~「名前」を名乗ることに躊躇する人々の声~」(2004年)、「Rubber Tit」(2006年)など数々のパフォーマンスを通して、家父長制の中で自分を表現できなかったお母様への思いや、セクシュアル・マイノリティと在日朝鮮人が自分の「名前」を名乗れないことの共通点・差異、ホモフォビックな発言をした石原慎太郎元都知事への異議などを発信してこられたことをお話くださいました。このようなパフォーマンスが、ターリさんご自身の自己肯定につながり、ひいては日本軍「慰安婦」のことや、沖縄における性暴力の問題をテーマとしたパフォーマンスに繋がっていったそうです。
セクシュアル・マイノリティをとりまく社会状況の変化についてもお話くださいました。レズビアンやゲイだけではなく、トランスジェンダーの人たちも認知され始めた頃に、ターリさんが運営されているPA/F SPACEも、レズビアンだけのスペースからLGBTが集うスペースへと変化していったことをお話くださいました(現在は「パフカフェ」と称して、性自認が女性の人たちのためのカフェを隔月1回程度行われているそうです)。最近の動きとして、SOGI(Sexual OrientationとGender Identity)という概念も出てきていること、プライド・パレードが商業主義化していること、ピンクウォッシングの動きも懸念されていることなどについてお話くださいました。
「レズビアンは貧乏だなと思う。お金に縁がない。相対的にやっぱり生きづらい。社会で自分を発揮できない」と最後におっしゃりながらお話を締めくくられ、質疑応答では、日本軍「慰安婦」問題との出会いや「ナヌムの家」記念式典でのパフォーマンスのお話などについてお話くださいました。最後に、今年7月28日にソウルで3年半ぶりのパフォーマンスをされるというビッグニュースを発表してくださいました!
【参加者の感想】
◯自身がマイノリティであることを出発点に社会問題に取りくみ、パフォーマンスをされるターリさんの姿に学ばされました。言葉にできなければ切り捨てられてしまう感情や問題が多いなかで、パフォーマンスで表現することの力を改めて感じさせられました。自分にくっつく皮、まとわりつくものをはがしているターリさんのパフォーマンスは解放を感じるとともに、その最中にはどこか痛みのようなものを感じました。ターリさんが感じてきた痛みを想像することを続けていきたいと思います。
◯イトー・ターリさんの、飾らない、自分に正直に生きる姿、強さに心打たれました。「自らに問う」ことは「自分を表現すること」と表裏一体であるし、「抑圧に抵抗すること」にもなるのだという、生き方の再発見ができました。
○みんながみんなターリさんのようにプロのパフォーマーになれるわけではないですが、一人一人が表現者として闘っていく方法を模索できたらいいなと思います。
**かんじ なし**
6がつ 12にち、いとー・たーりさんを むかえて 「ひょうげんと せくしゅありてぃを かんがえる」と いう たいとるで (2018ねん れんぞくこうざ 「だれいき。あなたと わたしの <せい>を かんがえる」 だい2かい)、おはなしを うかがいました。
いか、とうじつの かんたんな ほうこくと さんかしゃの かんそうを きょうゆう させて いただきます。ぜひ ごいちどく ください!
**とうじつの らいぶ ほうそう どうがは こちらから ごらんに なれます。
【ほうこく】
6がつ 12にち、いとー・たーりさんを おまねきし、「だれいき。あなたと わたしの 〈せい〉をかんがえる」 だい2かい こうざを いいだばし・とうきょう しみんかつどう ぼらんてぃあせんたーにて かいさいし、42めいが さんかしました。
いとー・たーりさん ごじしんの じこしょうかい(1951ねんうまれ、おらんだでの けいけん、うぃめんず あーと ねっとわーく(WAN)、PA/F SPACEの うんえいを されてきた ことなど)のあと、ぱふぉーまんす あーととは どのような ものなのかに ついて、1920ねんだい いこうの せかいじゅうの ぱふぉーまーたちに よる ぱふぉーまんすの すらいどを しようしながら ごせつめい くださいました。
たーりさんは、1987ねんから ぱふぉーまんす あーとを されはじめ、とくに 1996ねんいこう、せくしゅありてぃや にほんぐん「いあんふ」を てーまにした ぱふぉーまんすを されてきたそうです。1990ねんに 「じぇんだー」という ことばと であって 「これで いきていける。ひょうげんも つづけられそう」と おもわれた とのこと。ぱふぉーまんす あーととは 「わたしじしん」であり、すべて 「わたし」に かえってくるため、ごじしんの せくしゅありてぃの ことを よこに おいては おけないと おもい、1996ねんに おこなった 「じがぞう」という ぱふぉーまんすの なかで、ごじしんが れずびあんで あることを かみんぐあうと されたそうです。この 「じがぞう」 ぱふぉーまんすの だいじぇすと えいぞうを 10ぷんほど みせてくださったのですが、からだや ゆかいちめんに らてっくすごむを ぬりつけ、ちからいっぱい はがしていく ようすや、「あなたは だれですか?」の しつもんに ごじしんで こたえながら かみんぐあうと していく ぱふぉーまんす えいぞうを、さんかしゃの みなさんは いきを のんで みていました。
この 「じがぞう」はしかし、ぱふぉーまんすを まえにして、いくつかの じょせいせんたーから「れずびあんという ことばを つかわないで ください」「ふみんには はやすぎます」と いわれたということで、けっかてきに 「おんなを あいする おんな」という ひょうげんに かえざるを えなかった という おはなしも してくださいました。この 「じがぞう」の あとは「わたしを いきること」(1998ねん)、「おそれは どこにある」(2001ねん)、「にじいろの ひとびと~「なまえ」を なのることに ちゅうちょする ひとびとの こえ~」(2004ねん)、「Rubber Tit」(2006ねん)など かずかずの ぱふぉーまんすを とおして、かふちょうせいの なかで じぶんを ひょうげん できなかった おかあさまへの おもいや、せくしゅある・まいのりてぃと ざいにちちょうせんじんが じぶんの 「なまえ」を なのれない ことの きょうつうてん・さい、ほもふぉびっくな はつげんを した いしはら しんたろう もと とちじへの いぎなどを はっしん してこられた ことを おはなし くださいました。このような ぱふぉーまんすが、たーりさん ごじしんの じここうていに つながり、ひいては にほんぐん「いあんふ」の ことや、おきなわに おける せいぼうりょくの もんだいを てーまと した ぱふぉーまんすに つながっていったそうです。
せくしゅある・まいのりてぃを とりまく しゃかいじょうきょうの へんかに ついても おはなしくださいました。れずびあんや げいだけではなく、とらんすじぇんだーの ひとたちも にんちされはじめた ころに、たーりさんが うんえい されているPA/F SPACEも、れずびあんだけの すぺーすから LGBTが つどう すぺーすへと へんか して いったことを おはなし くださいました(げんざいは 「ぱふかふぇ」と しょうして、せいじにんが じょせいの ひとたちの ための かふぇを かくげつ 1かい ていど おこなわれているそうです)。さいきんの うごきとして、SOGI(Sexual OrientationとGender Identity)という がいねんも でてきていること、ぷらいど・ぱれーどが しょうぎょうしゅぎか していること、ぴんく うぉっしんぐの うごきも けねんされている ことなどに ついて おはなし くださいました。
「れずびあんは びんぼうだなと おもう。おかねに えんが ない。そうたいてきに やっぱりいきづらい。しゃかいで じぶんを はっき できない」と さいごに おっしゃりながら おはなしを しめくくられ、しつぎおうとうでは、にほんぐん「いあんふ」もんだいとの であいや 「なぬむの いえ」きねんしきてんでの ぱふぉーまんすの おはなしなどについて おはなしくださいました。さいごに、ことし 7がつ 28にちに そうるで 3ねんはんぶりの ぱふぉーまんすを される という びっぐにゅーすを はっぴょう してくださいました!
【さんかしゃの かんそう】
◯じしんが まいのりてぃで あることを しゅっぱつてんに しゃかいもんだいに とりくみ、ぱふぉーまんすを される たーりさんの すがたに まなばされました。ことばに できなければきりすてられてしまう かんじょうや もんだいが おおいなかで、ぱふぉーまんすで ひょうげんすることの ちからを あらためて かんじさせられました。じぶんに くっつく かわ、まとわりつくものを はがしている たーりさんの ぱふぉーまんすは かいほうを かんじると ともに、その さなかには どこか いたみの ようなものを かんじました。たーりさんが かんじてきた いたみを そうぞうすることを つづけて いきたいと おもいます。
◯いとー・たーりさんの、かざらない、じぶんに しょうじきに いきる すがた、つよさに こころうたれました。「みずからに とう」 ことは 「じぶんを ひょうげん すること」と ひょうりいったいで あるし、「よくあつに ていこう すること」 にも なるのだ という、いきかたの さいはっけんが できました。
○みんなが みんな たーりさんの ように ぷろの ぱふぉーまーに なれるわけでは ないですが、ひとりひとりが ひょうげんしゃとして たたかっていく ほうほうを もさくできたら いいなと おもいます。