2018年連続講座「だれいき。あなたとわたしの<性>を考える」最終回

民族とセクシュアリティを考える 報告

 

11月23日、りるいさん、りみょんさんを迎えて「民族とセクシュアリティを考える」というタイトルで(2018年連続講座「だれいき。あなたとわたしの<性>を考える」第4回)、お話をうかがいました。当日の簡単な報告と参加者の感想を共有させていただきます。ぜひご一読ください!

 

** ふたつめは かんじ なし **

 

2018年11月23日、早稲田大学戸山キャンパスにて、り るいさん、りみょんさんのお二人をお迎えして今年の連続講座【だれいき。あなたとわたしの〈性〉を考える】の最終回「民族とセクシュアリティを考える」を行い、29名が参加した。

 まず、りみょんさんから自分を規定し紹介することのむずかしさを前提に自己紹介が行われた。「民族とセクシュアリティを考える」を話す場であるので民族名とLGBTQを開示するのか、それともあえてしないのかの選択は単純ではなく、開示したとしても日々それだけで生きているわけではないという。

 九州の田舎、日本の小中高ですごしてきたが学校では、より「いい日本人」になろうと努力したというりみょんさん。担任の先生に「正しいことをしたかったら力を持て」という言葉に忠実に、いい大学に入りいい会社に入ることを目標に生きてきた。子どものころから「女の子」の遊びが好きだったりみょんさんは男性ジェンダーに違和感を感じていたが力を持つ過程のなかで男性性を取り戻そうとしていた。

 大学生になり民族団体に出会い初めて同年代の在日に出会った。差別にあらがう生き方は解放感をくれ、間違っていることを間違っていると言っていい仲間ができた。だがそこには日本の社会と変わらないホモソーシャルや家父長制があった。初めて出会った貴重な民族の場であり、この居場所を無くしたくない気持ちが強かった。また他のクィアコミュニティを探すということも当時の自分には考えられなかった。そこで自分はホモソーシャルの共犯関係にあったと思う。

 しかし、民族運動の場でフェミニズムに出会い具現化していく在日朝鮮女性学生との出会いはりみょんさんに大きな力を与えてくれた。

 民族運動の中で「本名」宣言に到ったりみょんさんだが本名を名乗ることで日々在日朝鮮人ということにアイデンティティが回収される息苦しさも感じるという。そのため、セクシュアリティであるLGBTQなどのラベルを通した開示をあえてしていない。枠にはめられる窮屈さやすぐにSEX、下半身とむすびつけるセクシャルハラスメントを危惧するからである。ラベルを通した開示とは別の在り方で、男性ジェンダーを生きる自らの特権性を無視しないかたちで性にかかわる抑圧に取り組みたいとしている。

 現在、りみょんさんは働きながらデモ活動をライフワークにしている。日本の社会運動は3.11以降新しい段階に突入した。「反原発」「反ヘイト」とシングルイシューポリティクスである。しかしその運動はふたを開ければ差別の巣窟であることに危機感を感じる。自身の運動ではできるだけいろんな問題を取扱い運動を行っていくとのことであった。

 

 次にり るいさんのお話があった。朝鮮人のアボジ(父)と日本人のオモニ(母)の元に生まれたるいさん。美大卒の自由な発想を持つ母は結婚しなくていい、孫はいらないと普通に言うような人でるいさん自身もキラフワしたものやスカートへの拒否感もフリーに表現できる環境だったという。中高は女子高に通い、その後の大学生活の中でも性を取り巻く問題を身近に、多角的に考えられる機会に恵まれた。

 るいさんは日本人として育ちながら中三の時突然母が「お父さんは在日だよ」と言われ初めて「韓国人」であることを自覚した。K-POPが流行っていたこともあり「ハーフなんだ!」と思ったが国籍は日本であり何か自身のアイデンティティに特段変化があったわけではなかった。父は在日2世で母国留学で母国語を学んでいた。 大学に入り民族団体と出会ったが行き交うウリマル(朝鮮語)やウリノレ(朝鮮の歌)はとても居心地の悪い空間であった。集まりに行くのは辛かったが学習会が面白かったのと朝鮮大学校でのイベントにノリで参加して自分の無知さを感じた。また、元良心囚の先生と出会い華やかな韓国のイメージが覆されたという。

 民族団体での活動の過程で植民地主義と向かい合うようになり大学三年次のときには初めて朝鮮民主主義人民共和国にも訪れた。そこでの出会いや経験からも、自分が日本の植民地支配の延長線上にいること、加害としての日本、被害としての朝鮮そのはざまで苦しむこと自体が民族性であることに思いが至った。朝鮮人であることを肯定できず、子への差別を恐れて帰化したアボジは無念でありその無念さは自分の無念さであると話した。また、るいさんは痛みに思いを馳せる想像することは人間としての良心であること、統一への思いも語ってくれた。

 

 最後に二人は差別をなくすための啓発はどうするべきか、家族間でどうやって分かり合ってきたのかなど多岐にわたる質問に答えた。「だれいき。あなたとわたしの<性>を考える」の最終回にふさわしい民族と性の複合する問題を考えるとても貴重な時間となった。

 

【参加者の感想】

 

○文献や講義などではなかなか聞くことのできない貴重なお話で、個々人の生活のすべての中に歴史や複合的なすべての影響が流れていることを改めて知った。それは、自分の生活の中では見なくても良いものが多く、気づかないことの特権性を深く感じた。今日学んだことの多くを大切に、行動していきたいです。

 

○たとえ、自身にとって居心地のよい場所だとしても、そこにある緊張関係を無視しないという、りみょんさんの言葉を実行したいと思います。

 

○複雑に交錯した「生」をありのままに捉えて実践しているお二人の話を聞けて、とても良かったです。アイデンティティ・ポリティクスの可能性、危うさ、矛盾、イシューに優先順位をつけないで、複雑な自分のまま、複雑に生きていける道を切り拓いていきたいと思いました。

 

――― いか かんじ なし ―――

 

2018ねん 11がつ 23にち、わせだだいがく とやま きゃんぱすにて、り るいさん、りみょんさんのおふたりを おむかえして ことしの れんぞくこうざ 【だれいき。あなたと わたしの 〈せい〉を かんがえる】の さいしゅうかい「みんぞくと せくしゅありてぃを かんがえる」を おこない、29めいが さんかした。

 まず、りみょんさんから じぶんを きていし しょうかいする ことの むずかしさを ぜんていに じこしょうかいが おこなわれた。「みんぞくと せくしゅありてぃを かんがえる」を はなす ばで あるので みんぞくめいと LGBTQを かいじ するのか、それとも あえて しないのかの せんたくは たんじゅんでは なく、かいじしたと しても ひび それだけで いきているわけでは ないという。

 きゅうしゅうの いなか、にっぽんの しょうちゅうこうで すごしてきたが がっこうでは、より「いい にほんじん」に なろうと どりょくしたと いう りみょんさん。たんにんの せんせいに 「ただしい ことを したかったら ちからを もて」と いう ことばにちゅうじつに、いい だいがくに はいり いい かいしゃに はいる ことを もくひょうに いきてきた。こどもの ころから 「おんなのこ」の あそびが すきだった りみょんさんは だんせい じぇんだーに いわかんを かんじて いたが ちからを もつ かていの なかで だんせいせいを とりもどそうと していた。

 だいがくせいに なり みんぞくだんたいに であいはじめて どうねんだいの ざいにちに であった。さべつに あらがう いきかたは かいほうかんを くれ、まちがっている ことを まちがっていると いって いい なかまが できた。だが そこには にっぽんの しゃかいと かわらない ほもそーしゃるや かふちょうせいが あった。はじめて であった きちょうな みんぞくの ばで あり、この いばしょを なくしたくない きもちが つよかった。また ほかの くぃあこみゅにてぃを さがすと いう ことも とうじの じぶんには かんがえられなかった。そこで じぶんは ほもそーしゃるの きょうはんかんけいに あったと おもう。

 しかし、みんぞくうんどうの ばで ふぇみにずむに であい ぐげんか していく ざいにちちょうせんじょせい がくせいとの であいは りみょんさんに おおきな ちからを あたえてくれた。

 みんぞく うんどうのなかで 「ほんみょう」 せんげんに いたった りみょんさんだが ほんみょうを なのることで ひび ざいにちちょうせんじん ということに あいでんてぃてぃが かいしゅう される いきぐるしさも かんじると いう。そのため、せくしゅありてぃで ある LGBTQなどの らべるを とおした かいじを あえて していない。わくに はめられる きゅうくつさや すぐに SEX、かはんしんと むすびつける せくしゃるはらすめんとを きぐするから である。らべるを とおした かいじとは べつの ありかたで、だんせい じぇんだーを いきる みずからの とっけんせいを むししない かたちで せいに かかわる よくあつに とりくみたいと している。

 げんざい、りみょんさんは はたらきながら でもかつどうを らいふわーくに している。にっぽんのしゃかいうんどうは 3.11いこう あたらしい だんかいに とつにゅうした。「はんげんぱつ」「はんへいと」と しんぐる いしゅー ぽりてぃくす である。しかし その うんどうは ふたを あければ さべつの そうくつで あることに ききかんを かんじる。じしんの うんどうでは できるだけ いろんな もんだいを とりあつかい うんどうを おこなっていく とのことで あった。

 

 つぎに り るいさんの おはなしが あった。ちょうせんじんの あぼじ(ちち)と にほんじんの おもに(はは)の もとに うまれた るいさん。びだいそつの じゆうな はっそうを もつ ははは けっこん しなくていい、まごは いらないと ふつうに いうような ひとで るいさん じしんも きらふわ したものや すかーとへの きょひかんも ふりーに ひょうげん できる かんきょう だったと いう。ちゅうこうは じょしこうに かよい、そのごの だいがく せいかつのなかでも せいを とりまく もんだいを みぢかに、たかくてきに かんがえられる きかいに めぐまれた。

 るいさんは にほんじんとして そだちながら ちゅうさんの とき とつぜん ははが 「おとうさんは ざいにちだよ」と いわれ はじめて 「かんこくじん」で あることを じかくした。K-POPが はやっていたことも あり 「はーふ なんだ!」と おもったが こくせきは にっぽんで あり なにか じしんの あいでんてぃてぃに とくだん へんかが あった わけでは なかった。ちちは ざいにち 2せいで ぼこくりゅうがくで ぼこくごを まなんでいた。 だいがくに はいり みんぞく だんたいとであったが いきかう うりまる(ちょうせんご)や うりのれ(ちょうせんの うた)は とても いごこちの わるい くうかんで あった。あつまりに いくのは つらかったが がくしゅうかいが おもしろかったのと ちょうせんだいがっこうでの いべんとに のりで さんかして じぶんの むちさを かんじた。また、もとりょうしんしゅうの せんせいと であい はなやかな かんこくの いめーじが くつがえされたと いう。

 みんぞく だんたいでの かつどうの かていで しょくみんちしゅぎと むかいあう ように なり だいがく さんねんじの ときには はじめて ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくにも おとずれた。そこでの であいや けいけんからも、じぶんが にっぽんの しょくみんちしはいの えんちょうせんじょうに いること、かがいと しての にっぽん、ひがいと しての ちょうせん その はざまで くるしむ こと じたいが みんぞくせいで あることに おもいが いたった。ちょうせんじんで あることを こうてい できず、こへの さべつを おそれて きかした あぼじは むねんで あり その むねんさは じぶんの むねんさで あると はなした。また、るいさんは いたみに おもいを はせる そうぞうすることは にんげんとしての りょうしんで あること、とういつへの おもいも かたってくれた。

 

 さいごに ふたりは さべつを なくすための けいはつは どうするべきか、かぞくかんで どうやって わかりあってきたのか など たきに わたる しつもんに こたえた。「だれいき。あなたと わたしの 〈せい〉を かんがえる」の さいしゅうかいに ふさわしい みんぞくと せいの ふくごう する もんだいを かんがえる とても きちょうな じかんと なった。

 

【さんかしゃの かんそう】

 

○ぶんけんや こうぎなどでは なかなか きくことの できない きちょうな おはなしで、ここじんのせいかつの すべての なかに れきしや ふくごうてきな すべての えいきょうが ながれて いる ことを あらためて しった。それは、じぶんの せいかつの なかでは みなくても よいものが おおく、きづかない ことの とっけんせいを ふかく かんじた。きょう まなんだことの おおくを たいせつに、こうどう していきたいです。

 

○たとえ、じしんに とって いごこちの よい ばしょだと しても、そこに ある きんちょうかんけいを むししない という、りみょんさんの ことばを じっこうしたいと おもいます。

 

○ふくざつに こうさく した「なま」を ありのままに とらえて じっせん している おふたりの はなしを きけて、とても よかったです。あいでんてぃてぃ・ぽりてぃくすの かのうせい、あやうさ、むじゅん、いしゅーに ゆうせん じゅんいを つけないで、ふくざつな じぶんの まま、ふくざつに いきていける みちを きりひらいて いきたいと おもいました。