東京朝鮮第四初中級学校にて出張授業を行いました!(2025.1.21)

** ふたつめは かんじ なし **

【#東京朝鮮第四初中級学校 にて出張授業を行いました!】

 1月21日に在日本朝鮮人人権協会性差別撤廃部会及び在日本朝鮮人東京人権協会の主催で、東京朝鮮第四初中級学校にて初級部4・5・6年生と中級部1・2・3年生を対象に人権教育を実施しました。

 初級部生を対象にした「多様な性について学ぼう」の授業実施は初めての試みとなりました!

●初4・5・6「多様な性について学ぼう」講師:朴金優綺(東京人権協会事務局長)

●中1「人権を尊重しよう」講師:金李イスルさん(東京人権協会理事)

●中2「多様な性について考えよう」講師:李るいさん(人権協会会員)

●中3「「『女だから…』『男なのに…』から自由になるには? ジェンダー規範について考えてみよう」講師:宋和淑さん(人権協会会員)

以下、生徒たちの感想を紹介することで簡単なご報告といたします。

[生徒の感想]

【初4・5・6】

●性はひとつだけではないということ、誰が誰を好きでもおかしくないこと、自分は自分らしく生きていかなければいけないということを学び、自分の性は恥ずかしくないと感じました。

●「同じ性別の人同士が恋愛をしてもおかしくないんだ」と感じました。

●これからは人の性別を外見で判断したり、悪口を言ったりしないようにします。

●性について知れば知るほど、友達などの近しい人もそうなのではないか?と感じました。もし友達がそうであれば、あたたかい言葉をかけられたら良いなと思います。

【中1】

●日常生活で自分が他人の人権を侵害していないか少し心配になった。

●友だちに接するときは優しい言葉で接しようと思った。

【中2】

●今日の授業では当事者たちのインタビュー動画をみて、本当にたくさん悩んできたのだと知ることが出来ました。人のほんの一言がとても重要で、それで力を得ることも出来るし人生を明るくも出来ると感じました。

最後にあったように、同性愛者であることを暴露されて命を絶つ事件があったことも衝撃的でした。

●世界には多様な性があることを学べたし、人の見た目だけをみて性別を判断できないししてはいけないことを学びました。

差別的な言葉を使っているトンムがもしもいたら、注意したいです。

【中3】

●今日の授業を通して、自分が普段生活する中で、無意識のうちに「男だから〜」「女だから〜」というジェンダーの枠組みで人を見てしまっていたことを強く感じる時間になりました。

そして、もし自分の身近なところでジェンダー差別を受けて傷ついている人がいたら、「ジェンダー差別はあってはならない。なぜそうなのか」を伝え、見て見ぬふりをせずに声をかけたいと思いました。

今回の授業を受けて、ジェンダーによる差別がなくなり、だれもが大切にされる平等な社会になってほしいと思いました。 

●今日の授業を通して、今まで時々耳にしてきた「男だから」「女だから」という言葉が、他の人にどのような影響を与えているのかを、初めてしっかり考えることができました。また、自分も知らないうちにそのような言葉を使ってしまっていることがあると気づき、これからはもっとよく考えてから発言しなければならないと感じました。

最後に行った活動では、グループで意見を交わす中で、男女の話であることを前提にして考えている自分に気づき、驚きました。このような固定観念を変えていかなければ、「男だから」「女だから」というジェンダー規範はなくならないと思いました。

これからはそうした言葉を言われている人がいたら、「大丈夫だよ」と相手の気持ちを考えながら、声をかけられるように、学びを深めていきたいです。

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【#とうきょう ちょうせん だいよん しょちゅうきゅうがっこう にて しゅっちょうじゅぎょうを おこないました!】

1がつ 21にちに ざいにほん ちょうせんじん じんけんきょうかい せいさべつてっぱいぶかい および ざいにほん ちょうせんじん とうきょうじんけんきょうかいの しゅさいで、とうきょう ちょうせん だいよん しょちゅうきゅう がっこうにて しょきゅうぶ よん・ご・ろくねんせいと ちゅうきゅうぶ いち・に・さんねんせいを たいしょうに じんけん きょういくを じっししました。
しょきゅうぶせいを たいしょうに した「たような せいに ついて まなぼう」の じゅぎょう じっしは はじめての こころみと なりました!

●しょ よん・ご・ろく「たような せいに ついて まなぼう」こうし:ぱくきむ うぎ(とうきょうじんけんきょうかい じむきょくちょう)

●ちゅう いち「じんけんを そんちょう しよう」こうし:きむり いするさん(とうきょうじんけんきょうかい りじ)

●ちゅう に「たような せいに ついて かんがえよう」こうし:り るいさん(じんけんきょうかい かいいん)

●ちゅう さん「「『おんなだから…』『おとこなのに…』から じゆうになるには? じぇんだーきはんに ついて かんがえてみよう」こうし:そん ふぁすっ さん(じんけんきょうかい かいいん)

いか、せいとたちの かんそうを しょうかい する ことで かんたんな ごほうこくと いたします。

[せいとの かんそう]

【しょ よん・ご・ろく】

●せいは ひとつだけでは ないと いうこと、だれが だれを すきでも おかしくない こと、じぶんは じぶんらしく いきて いかなければ いけないと いう ことを まなび、じぶんの せいは はずかしくないと かんじました。

●「おなじ せいべつの ひと どうしが れんあいを しても おかしく ないんだ」と かんじました。

●これからは ひとの せいべつを がいけんで はんだん したり、わるくちを いったり しないように します。

●せいに ついて しれば しるほど、ともだちなどの ちかしい ひとも そうなのでは ないか?と かんじました。もし ともだちが そうであれば、あたたかい ことばを かけられたら よいなと おもいます。

【ちゅう いち】

●にちじょうせいかつで じぶんが たにんの じんけんを しんがい していないか すこし しんぱいに なった。

●ともだちに せっする ときは やさしい ことばで せっしようと おもった。

【ちゅう に】

●きょうの じゅぎょうでは とうじしゃ たちの いんたびゅー どうがを みて、ほんとうに たくさん なやんできたのだと しる ことが できました。ひとの ほんの ひとことが とても じゅうようで、それで ちからを える ことも できるし じんせいを あかるくも できると かんじました。
さいごに あったように、どうせいあいしゃで ある ことを ばくろされて いのちを たつ じけんが あった ことも しょうげきてき でした。

●せかいには たような せいが あることを まなべたし、ひとの みためだけを みて せいべつを はんだん できないし しては いけないことを まなびました。
さべつてきな ことばを つかっている とんむが もしも いたら、ちゅうい したいです。

【ちゅう さん】

●きょうの じゅぎょうを とおして、じぶんが ふだん せいかつ する なかで、むいしきの うちに「おとこだから〜」「おんなだから〜」という じぇんだーの わくぐみで ひとを みてしまっていた ことを つよく かんじる じかんに なりました。
そして、もし じぶんの みぢかな ところで じぇんだーさべつを うけて きずついている ひとがいたら、「じぇんだーさべつは あっては ならない。なぜそうなのか」をつたえ、みてみぬ ふりを せずに こえを かけたいと おもいました。
こんかいの じゅぎょうを うけて、じぇんだーによる さべつが なくなり、だれもが たいせつに される びょうどうな しゃかいに なってほしいと おもいました。

●きょうの じゅぎょうを とおして、いままで ときどき みみにしてきた「おとこだから」「おんなだから」という ことばが、たの ひとに どのような えいきょうを あたえているのかを、はじめて しっかり かんがえる ことが できました。また、じぶんも しらないうちに そのような ことばを つかってしまっていることが あると きづき、これからは もっと よく かんがえてから はつげん しなければ ならないと かんじました。
さいごに おこなった かつどうでは、ぐるーぷで いけんを かわす なかで、だんじょの はなしで ある ことを ぜんていに して かんがえている じぶんに きづき、おどろきました。このような こていかんねんを かえていかなければ、「おとこだから」「おんなだから」という じぇんだーきはんは なくならないと おもいました。
これからは そうした ことばを いわれている ひとが いたら、「だいじょうぶだよ」と あいての きもちを かんがえながら、こえを かけられるように、まなびを ふかめて いきたいです。

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