本アクションの目的は主に二つでした。

①「強制連行はなかった」という言説を勝手につくりあげ、まん延させることにより、日本の明白な反人道的国家犯罪である日本軍性奴隷制そのものを否定しようとする、日本政府主導の歴史否定の動きに対して、在日朝鮮人自身の怒りの声を上げること。

こうした歴史の否定は、被害女性への幾重もの加害行為であり、また朝鮮民族一人ひとりの尊厳をも攻撃しているとの認識に立ってアクションを行いました。

②1977年4月23日、『朝鮮新報』に被害証言が詳しく掲載されることにより、日本軍性奴隷制の被害を朝鮮女性として初めて告発しながらも、今日その存在を記憶している人は決して多くないと思われる、裵奉奇ハルモニという存在を記憶するということ。

日本の朝鮮植民地支配と性奴隷制、沖縄戦、米国の沖縄占領のただ中を、想像すら及ばない暴力と貧困と差別の中で生き延び、昭和天皇の謝罪と朝鮮半島の統一を願いながら逝去された裵奉奇ハルモニ。

その存在を私たち在日朝鮮人が記憶しなければ、裵奉奇ハルモニの存在は再び歴史の闇に埋もれていってしまう、そのような危機感を持って、本アクションを行いました。

参議院議員会館前で行った本アクションでは、裵奉奇ハルモニ含め6名の朝鮮女性(金学順さん、朴永心さん、李桂月さん、金福童さん、宋神道さん)の証言を部会のメンバーが交代で朗読し、その後、20~30代の在日朝鮮人を中心として集まった約80名の参加者全員で、怒りのシュプレヒコールを叫びました。

 


 

ほんあくしょんのもくてきはおもにふたつでした。

①「きょうせいれんこうはなかった」というげんせつをかってにつくりあげ、まんえんさせることにより、にほんのめいはくなはんじんどうてきこっかはんざいであるにほんぐんせいどれいせいそのものをひていしようとする、にほんせいふしゅどうのれきしひていのうごきにたいして、ざいにちちょうせんじんじしんのいかりのこえをあげること。
こうしたれきしのひていは、ひがいじょせいへのいくえものかがいこういであり、またちょうせんみんぞくひとりひとりのそんげんをもこうげきしているとのにんしきにたってあくしょんをおこないました。

②1977ねん7がつ3か、『ちょうせんしんぽう』にひがいしょうげんがくわしくけいさいされることにより、にほんぐんせいどれいせいのひがいをちょうせんじょせいとしてはじめてこくはつしながらも、こんにちそのそんざいをきおくしているひとはけっしておおくないとおもわれる、ぺ・ぽんぎはるもにというそんざいをきおくするということ。
にほんのちょうせんしょくみんちしはいとせいどれいせい、おきなわせん、べいこくのおきなわせんりょうのただなかを、そうぞうすらおよばないぼうりょくとひんこんとさべつのなかでいきのび、しょうわてんのうのしゃざいとちょうせんはんとうのとういつをねがいながらせいきょされたぺ・ぽんぎはるもに。

そのそんざいをわたしたちざいにちちょうせんじんがきおくしなければ、ぺ・ぽんぎはるもにのそんざいはふたたびれきしのやみにうずもれていってしまう、そのようなききかんをもって、ほんあくしょんをおこないました。

さんぎいんぎいんかいかんまえでおこなったほんあくしょんでは、ぺ・ぽんぎはるもにふくめろくめいのちょうせんじょせい(きむ・はくすんさん、ぱく・よんしんさん、り・げうぉるさん、きむ・ぽっとんさん、そん・しんどさん)のしょうげんをぶかいのめんばーがこうたいでろうどくし、そのご、20~30だいのざいにちちょうせんじんをちゅうしんとしてあつまったやく80めいのさんかしゃぜんいんで、いかりのしゅぷれひこーるをさけびました。