本部会主催のイベントが紹介されました(5/2)


【本部会が開催したイベントが報道されました!】

 4月23日に本部会が行ったイベント「裴奉奇さんを記憶する人びと~在日朝鮮人と沖縄の住民~」が報道されました。ぜひお読みください!

 ※画像=朝鮮新報電子版デジタル紙面をキャプチャー

沖縄住民が語る裴奉奇さん/4・23アクション7周年

2021.05.02 (07:00)主要ニュース,歴史印刷


人権協会性差別撤廃部会が主催

在日本朝鮮人人権協会の性差別撤廃部会が主催する「4・23アクション7周年 裴奉奇さんを記憶する人々〜在日朝鮮人と沖縄の住民〜」が4月23日、開催された。同部会は、日本軍性奴隷制被害者の裴奉奇さんの証言が本紙に掲載された日(1977年4月23日)を記念して、裴さんとすべての性奴隷制被害者を記憶するアクションを毎年行ってきた。今年のイベントはオン・オフラインで実施し、延べ157人が参加および視聴した。

講演する洪玧伸さん

金賢玉さんのメッセージ

7回目となった今年の4・23アクションは、1975年に裴奉奇さんと出会って以降、裴さんが亡くなるまで寄り添い続けた総聯沖縄県本部の元活動家である金賢玉さんと、裴さんを記憶する沖縄の人々にまつわる洪玧伸さん(早稲田大学アジア太平洋研究科・大阪経済法科大学アジア太平洋研究所客員研究員)の語りを通じて、裴さんの存在に改めて光を当てた。

同イベントは4・23アクション6周年に際して昨年、企画されたもの。昨年は新型コロナウイルス感染拡大を受けて、当初予定した集会を延期し、部会運営委員らが沖縄を訪ねて撮影・制作した金賢玉さんのインタビュー映像2本をウェブ上に公開した。

今年のアクションでは、この映像とともに新たに撮り下ろした金さんのビデオメッセージが放映された。

今年は裴さんが亡くなって30年にあたる。金さんは裴さんの遺志を改めて振り返るとともに、次世代に向けて歴史を学び実践することを呼びかけた。

「日帝植民地下で、民族の魂を失ってさまよっていた裴奉奇ハルモニが、晩年には朝鮮人であること、統一を近づけていること、分断は私たちの力で解決できるという確信を持ちながら亡くなってから、早30年が過ぎました。しかし日本軍性奴隷制や強制連行といった問題は解放から75年が経った今日も解決されていません。私たちは2度と外国に侵略されて苦しみを味わう、そんな国になってはなりません。日本にいようと海外のどこにいようと私たちの言葉を学ぶことができる、民族文化を体得できる環境があることを忘れず、朝鮮人らしく生きてくれることを願います。分断の歳月を75年送ってはいますが、その間にも南北が一つになっていくための闘いが続いているという確信を持って、私たちの歴史をたくさん学び、実践してくれることを願います」(金さん)

性差別撤廃部会が主催する4・23アクションが行われた

沖縄の「慰安婦」証言

ソウル生まれの洪玧伸さんは、沖縄戦における朝鮮人と住民の関係性を中心に研究に取り組んでいる。著書に「沖縄戦場の記憶と『慰安所』」(2015年、インパクト出版会)などがある。

この日は「裴奉奇さんを記憶する人々―植民地主義を生きる―」と題して講演。沖縄における裴さんの足取りと植民地主義や分断体制下で不可視化されたその生涯を伝えるとともに、沖縄の人々の記憶から沖縄における「慰安婦」の表象を再考した。

洪さんは今回のアクションにあたって新たに作成した朝鮮半島と日本における裴さんの戦中、戦後の足跡を追った地図を見せながら、その生涯をたどった。植民地下の朝鮮半島から沖縄・渡嘉敷島に連行され日本軍の性奴隷としての生活を強いられた裴さんの生は、祖国解放後も苦難に満ちたものだった。1945年8月、日本軍の武装解除後、米軍の捕虜となり座間見や屋嘉、石川の収容所に移送。その後は米軍統治下の沖縄中を転々としながら飲み屋での客商売や子守り、野菜売り、空き瓶集めなどで糊口を凌いだ。洪さんが作成した地図にはその足取りが複数の点と線で記されている。洪さんは「戦後の裴さんの足取りは広範囲にわたる。地図をつくりながら陸地を歩き回る彼女の姿を想像してみたが、研究者として自分自身、その苦しみは到底わかり得ないのではないかと思った」と思いを馳せた。

洪さんは「慰安所」を取り巻く当時の沖縄の状況について、「風紀を乱すとして反対する場合もあれば、宮古島のように『アッパラギーミドゥン』(美しい人)と呼ばれ住民と交流があったケースもある」と言及。朝鮮人「慰安婦」が洗濯の行き帰りに束の間休息した場所で祈念を続けた住民の存在などを紹介した。集団自決の生存者などによる「慰安婦」に関する証言を紹介しながら洪さんは、沖縄における占領統治を踏まえて「沖縄においては集団自決などの犠牲者とともに『慰安婦』被害者を記憶する証言が存在する。これらは時間軸では語れない痛みとして渡嘉敷島、読谷村、宮古島、石垣島などで今なお記憶され続けている」と語った。

昨年、部会運営委員としてインタビュー映像制作に携わった李尹淑さん(34)は、「沖縄を実際に訪ねて金賢玉さんの話を聞くことで、裴奉奇さんが一人の在日朝鮮人女性として人権を回復していくさま、人柄、情景が鮮明に浮かび上がってきた」と振り返り、「洪玧伸さんが今日語ってくれた沖縄のバックグラウンドと相まって、裴さんの存在を伝えるという私たちがやり遂げたかったことが、きちんと形になった」と感想を述べた。

裴奉奇さんについて

1914年、忠清南道礼山郡生まれ。43年、咸鏡南道の興南で日本人と朝鮮人に騙されて釜山から下関へ連行される。翌44年から沖縄・渡嘉敷島の「慰安所」で性奴隷としての生活を強いられた。解放後も、米統治下の沖縄中を転々としながらあらゆる辛酸をなめた。沖縄「復帰」3年後の75年に「強制送還」になると聞いて入国管理局に出向き、特別在留許可を受ける。これがきっかけとなり存在が知られ、被害女性たちがその被害を公に口外できなかった時代に初めて自らの被害を告発した。75年に総聯沖縄県本部の金洙燮、金賢玉さんと出会って以後、家族のように親交を深める過程で朝鮮人としての尊厳を取り戻していった。祖国の統一を強く望みながら、91年10月に永眠した。

(金淑美)