【報告】8/1 ポグムチャリver.1 in 関東


** ふたつめは かんじ なし **

8/1(日)、在日朝鮮人女性の交流会「ポグムチャリver1 in関東」を行いました!

今回は「経験交流PartⅠ〜ぶっちゃけ、妊娠・出産・子育てってどうなんですか?〜」と題して、河庚希さん、金真美さんのお二人からお話を伺いました。

河庚希さんは妊娠当時、周囲からのお祝いの言葉とは裏腹に、生まれてくる子どもの健康状態や子育てへの不安で悩む日々だったといいます。心身も生活スタイルもすべてが変わったという出産後も、産後うつやパートナーとの衝突、煩雑で課題の多い公的保育サービスの現状などに直面した経験について語ってくれました。

「子どもは社会全体で育てていくもの」としながら、「人の手でもサービスでも頼れるものは頼っていい。働き方や子育てのあり方を一人一人がもっと自由に選択できたらいい」と仰っていたのが印象的でした。

金真美さんは、以前からフェミニズムやジェンダーの運動に携わっていたけれど、出産前は母親の立場にある人を想像できていなかった、女性の中に分断があることを痛感したと語りました。

また子どもの名前や国籍といった一つ一つに考えを持って選択してきた経緯や、「親の『こうあってほしい』を押し付けない」「子どもから見て『オンマ(母)』だけの存在にならないように」という言葉から、どうすれば子どもを尊重できるのか自問し、一人の人間として向き合おうとする姿を見ることができました。

お二人とも共通して、妊娠・出産・子育てを経験したことで、それ以前には持てなかった視点を持つことができ、それをご自身の仕事や活動に前向きに活かそうとされていました。また「親と子」であると同時に対等な「一人の人間」同士であることを理解し、互いに尊重しあえる関係を築こうとしていると感じました。

質疑応答&感想タイムでは、過去に子育てに対してネガティブな感情を抱いていた自分を肯定できたなど、様々な感想が述べられました。

筆者自身も、「妊娠・出産=おめでたい」がすべての人にとっての当たり前ではなく感じ方は人それぞれであること、不安や迷いがあって当たり前だからこそ、頼ったり支えてもらうことが大切だと気付かされました。

今回、「妊娠・出産・子育て」というテーマから、身心の変化、自身のキャリア、保育サービス、名前や国籍の選択、家庭やウリハッキョ(朝鮮学校)内での性教育、在日同胞社会全体における子育てのあり方など、想像以上に多岐にわたるトピックが挙がりました。それだけ、悩みの種もモヤモヤも沢山あるということ。ひとりで抱え込んでしまうことなく、語り合い安心できる場、自分の周りの誰かに寄り添うための知恵を分けてもらえる場、そんなポグムチャリを作っていくことの大切さを改めて感じた交流会でした!(運営委員・F)

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8がつ1にち、ざいにち ちょうせんじん じょせいの こうりゅうかい「ポグムチャリ ver1 in かんとう」を おこないました!

こんかいは 「けいけん こうりゅう PartⅠ~ぶっちゃけ、にんしん・しゅっさん・こそだて って どうなんですか?~」とだいして、は・きょんひ さん、きん・ちんみ さん の おふたりから おはなしを うかがいました。

は・きょんひさんは にんしん とうじ、しゅういからの おいわいの ことばとは うらはらに、うまれてくる こどもの けんこう じょうたいや こそだてへの ふあんで なやむ ひび だったと いいます。しんしんも せいかつスタイルも すべてが かわった という しゅっさんごも、さんごうつや パートナーとの しょうとつ、はんざつで かだいの おおい こうてき ほいく サービスの げんじょう などに ちょくめんした けいけんに ついて かたってくれました。

「こどもは しゃかい ぜんたいで そだてて いくもの」としながら、「ひとのてでも サービスでも たよれる ものは たよっていい。はたらきかたや こそだての ありかたを ひとりひとりが もっと じゆうに せんたく できたらいい」と おっしゃって いたのが いんしょうてき でした。

きん・ちんみさんは、いぜんから フェミニズムや ジェンダーの うんどうに たずさわって いたけれど、しゅっさん まえは ははおやの たちばに ある ひとを そうぞう できて いなかった、じょせいの なかに ぶんだんが あることを つうかん したと かたりました。

また こどもの なまえや こくせきと いった ひとつひとつに かんがえを もって せんたく してきた けいいや、「おやの 『こうあって ほしい』を おしつけない」「こどもから みて 『オンマ(はは)』だけの そんざいに ならないように」という ことばから、どうすれば こどもを そんちょう できるのか じもんし、ひとりの にんげん として むきあおうと する すがたを みることが できました。

おふたりとも きょうつう して、にんしん・しゅっさん・こそだてを けいけん した ことで、それ いぜんには もてなかった してんを もつことが でき、それを ごじしんの しごとや かつどうに まえむきに いかそうと されていました。また「おや と こ」であると どうじに たいとうな「ひとり の にんげん」どうしで あることを りかいし、たがいに そんちょう しあえる かんけいを きずこうと していると かんじました。

しつぎ おうとう & かんそう タイムでは、かこに こそだてに たいして ネガティブな かんじょうを いだいていた じぶんを こうてい できたなど、さまざまな かんそうが のべられました。

ひっしゃ じしんも、「にんしん・しゅっさん=おめでたい」が すべての ひとに とっての あたりまえ ではなく かんじかたは ひとそれぞれで あること、ふあんや まよいが あって あたりまえ だからこそ、たよったり ささえて もらう ことが たいせつだと きづかされました。

こんかい、「にんしん・しゅっさん・こそだて」という テーマから、しんしんの へんか、じしんの キャリア、ほいく サービス、なまえや こくせきの せんたく、かていや ウリハッキョ(ちょうせん がっこう)での せいきょういく、ざいにち どうほう しゃかい ぜんたいに おける こそだての ありかた など、そうぞう いじょうに たきに わたる トピックが あがりました。それだけ、なやみの たねも モヤモヤも たくさん ある ということ。ひとりで かかえこんで しまうことなく、かたりあい あんしん できる ば、じぶんの まわりの だれかに よりそう ための ちえを わけて もらえる ば、そんな ポグムチャリを つくって いくことの たいせつさを あらためて かんじた こうりゅうかい でした!(うんえいいいん・F)