「だれいき」とは、性差別撤廃部会の活動における合言葉である「だれもがいきいきと生きられる社会のために」を意味します。

主催団体

性差別撤廃部会

在日朝鮮人の権利擁護と生活向上への貢献を目的として活動する在日本朝鮮人人権協会の部会。2002年より活動を始めた「男女平等推進部会」が前身(2007年より現在の名称)。
民族や性、階級などにもとづくあらゆる差別と暴力を認識し、行動することによってつながり、「だれもがいきいきと生きられる社会」の実現を目指す。

私たちが目指すもの

私たちにとって真の解放とは何でしょうか。過去の歴史は、私たち朝鮮人に、蹂躙された人びとの悲しみを刻みました。日本軍「慰安婦」サバイバーのあいまいな表情と切望の瞳、関東大震災時の虐殺の記憶、土地を追われ家を失い、搾り取られて亡くなっていった一世の沈黙、真っ二つに分かれ途方にくれる祖国……。それは終焉した過去ではなく、いまも私たちの身近にあります。民族の集団記憶と被害から目を背けようとする心性に、名前をあやつる手段と圧力に、本当のことが言えない疎外された環境に、人間性が肯定される民族教育の苦境に、限られた生活の途に、現れています。

しかし、失ったものの分だけ、私たちは気づくことができると思うのです。人間の尊厳とは、当たり前の権利とは、過去の克服とは、来たるべき世界とはなにかを。
私たちにとって、朝鮮人であるがゆえの「生きにくさ」と、性にまつわる「生きにくさ」は、分かちがたく結びついています。

民族や性を理由とした差別は、いまも私たちの日常を覆っています。在日朝鮮人家庭の貧困と孤立、家庭内と社会での性役割、学校でのいじめ、チマチョゴリ切り裂きなど朝鮮学校通学者への暴力、学歴差別、恋愛、結婚差別、家庭内や恋人間でのDV、就業上の性差別と民族差別、痴漢やストーカーといった性被害など、自分や大切な人びとが味わってきました。

働く先で、店の厨房で、学校で、家の中で、日本の片隅で、思い通りにならないことばかりの人生を送ってきた母や、祖母や、親戚や、友や、まだ出会わぬ人びとに想いをいたします。

「女/男にこだわるあなたが悪い」、「民族にこだわらない方がいい」と言う人びとがいます。

しかし、私たちがたとえ意識していなくとも、生活のいたるところで私たちの選択や行動は制限されており、生きづらさの根っこで、民族と性がまとわりついてくるのです。たとえそれらを見ないようにしても、得体の知れない苦しみと付き合っていかなければなりません。

私たちは、朝鮮人であり、女性や性的少数者という理由だけでどうしてこれほどまでに悩まされるのか、その痛みの本を少しでも取り除きたいと思います。その手がかりをつかむため、民族や性、階級にもとづく差別や暴力の問題について学び、話し合い、互いの日常の苦悩を分かち合ってきました。

これまで、在日朝鮮人社会のなかで性差別の撤廃を唱えることは、時として多くの誤解を生んできました。「性差別を取り上げることは朝鮮人同士をいたずらに分断する」という声がそれです。

しかし、性差別がないかのようにふるまう運動においても、女性が男性より早くリタイアせざるを得なかったり、社交の場に参加しづらくなったりしています。性別にもとづく役割や処遇の違い、日常的な差別言動と男性中心の結束によって、これまで多くの女性や、運動に違和を感じる人びとが立ち去っていきました。在日朝鮮人社会のなかの性差別に向き合わないことこそが、分断を生み、弱い人びとを切り捨ててきたと言わざるを得ません。

他方、日本社会で性差別に異議を唱える試みにおいても、在日朝鮮人の声はほとんど組み入れられてきませんでした。日本にいる女性の非正規雇用率54.7%に比べ、朝鮮・韓国籍女性は62.3%と高率です。また、業種から所得をみても、日本女性に最も多い業種(卸小売業、医療福祉、製造業が49.5%)の平均年収(211万円)に比べ、朝鮮・韓国籍女性の50.1%は、さらに所得の低い業種(サービス業や卸小売業、分類不能な業種;平均年収157万円)に従事しており、階級的に下位にいます(2010年国勢調査)。

男女共同参画後も女性に対して一般職や非正規といった短期かつ補助的な仕事ばかりが用意されている状況に加え、国籍や民族を理由にして雇用をためらったり職場から遠ざけたりする環境が、在日朝鮮人女性を何重にも生きにくくしているのです。

民族や性がからまってなされている社会的な抑圧のありかをともに探るために、連帯を呼びかけます。あらゆる朝鮮人が、あらゆる女性が、真の解放の果実を分け合うために、互いの痛みへの想像力と、不可解なことに歩み寄る意思を求めます。
そのために私たちも、在日朝鮮人の女性のみならず、性的少数者、貧困者、ダブルや「混血」者、障害者、精神疾患を含む病者、その他あらゆる疎外された人びとの声を組み入れる努力を惜しみません。それを、南北朝鮮・在外朝鮮人における問題、ひいては全世界の被抑圧民が経験する、性や民族などに基づくひとつではない差別の解消のための一助ともしたいと思っています。

このサイトは、このようなことをめざす私たちの活動について、より多くの人びとに知ってもらうことと、私たちと同じような葛藤を抱える女性たち、その他あらゆるマイノリティの人々と、より広く深くつながっていくことを目的として作成されました。「だれもがいきいきと生きられる社会のために」を合言葉に、みなさんと手をつないで歩んでいけることを、心から願っています。

私たちの活動指針

私たちは、民族/人種、国籍、性、階級、障害、年齢、宗教などにもとづくあらゆる差別と暴力を認識し、行動することによってつながり、「だれもがいきいきと生きられる社会」の実現を目指します。

私たちの活動

まなぶ

・講座・学習会・上映会など~ジェンダー、セクシュアリティ、民族/人種、階級などに基づく差別と暴力、それへの抵抗運動などについて学ぶ講座やワークショップ、上映会などを開催しています。

・講師派遣~要請に応じて講師派遣やワークショップを開催します。詳細は、事務局までお問い合わせください。

うごく

在日同胞のジェンダー意識に関するアンケート調査、日本軍性奴隷制問題の克服を目指すデモなどを行っています。

つながる

在日朝鮮人女性の交流会<ポグムチャリver.1>や、在日朝鮮人セクシュアル・マイノリティの交流会<ポグムチャリver.2>を開催し、日常の互いの悩みや葛藤を分かち合う場をつくっています(「ポグムチャリ」とは朝鮮語で「心のよりどころ」の意)。また、マイノリティ同士の連帯を目指します。

活動履歴

2023年(編集中)

2022年(編集中)

2021年(編集中)

2020年(編集中)

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2002~2009年


「だれいき」とは、せいさべつてっぱいぶかいのかつどうにおけるあいことばである「だれもがいきいきといきられるしゃかいのために」をいみします。

しゅさいだんたい

せいさべつてっぱいぶかい

ざいにちちょうせんじんの けんりようごと せいかつこうじょうへの こうけんをもくてきとして かつどうするざいにほんちょうせんじんじんけんきょうかいの ぶかい。2002ねんよりかつどうをはじめた「だんじょびょうどうすいしんぶかい」が ぜんしん(2007ねんよりげんざいのめいしょう)。
みんぞくやせい、かいきゅうなどにもとづくあらゆるさべつとぼうりょくをにんしきし、こうどうすることによってつながり、「だれもがいきいきといきられるしゃかい」のじつげんをめざす。

わたしたちがめざすもの

みんぞくとせい

わたしたちにとって しんのかいほうとはなんでしょうか。かこのれきしは、わたしたちちょうせんじんに、じゅうりんされたひとびとのかなしみを きざみました。にほんぐん「いあんふ」サバイバーのあいまいなひょうじょうとせつぼうのひとみ、かんとうだいしんさいじの ぎゃくさつのきおく、とちをおわれ いえをうしない、しぼりとられてなくなっていった いっせいのちんもく、まっぷたつにわかれとほうにくれる そこく……。それはしゅうえんしたかこではなく、いまもわたしたちのみぢかにあります。みんぞくのしゅうだんきおくと ひがいからめをそむけようとするしんせいに、なまえをあやつるしゅだんとあつりょくに、ほんとうのことがいえない そがいされたかんきょうに、にんげんせいが こうていされるみんぞくきょういくの くきょうに、かぎられたせいかつのと(しゅだん)に、あらわれています。

しかし、うしなったもののぶんだけ、わたしたちはきづくことが できるとおもうのです。にんげんのそんげんとは、あたりまえのけんりとは、かこのこくふくとは、きたるべきせかいとはなにかを。

わたしたちにとって、ちょうせんじんであるがゆえの「いきにくさ」と、せいにまつわる「いきにくさ」は、わかちがたくむすびついています。

みんぞくや せいをりゆうとしたさべつは、いまもわたしたちの にちじょうをおおっています。ざいにちちょうせんじんかていの ひんこんとこりつ、かていないと しゃかいでのせいやくわり、がっこうでのいじめ、チマチョゴリきりさきなど ちょうせんがっこうつうがくしゃへのぼうりょく、がくれきさべつ、れんあい、けっこんさべつ、かていないやこいびとかんでのDV、しゅうぎょうじょうのせいさべつと みんぞくさべつ、ちかんやストーカーといったせいひがいなど、じぶんやたいせつなひとびとがあじわってきました。

はたらくさきで、みせのちゅうぼうで、がっこうで、いえのなかで、にほんのかたすみで、おもいどおりにならないことばかりの じんせいをおくってきたははや、そぼや、しんせきや、ともや、まだであわぬひとびとにおもいをいたします。

なぜみんぞくとせいなのか

「おんな/おとこにこだわるあなたがわるい」、「みんぞくにこだわらないほうがいい」という ひとびとがいます。

しかし、わたしたちがたとえいしきしていなくとも、せいかつのいたるところで わたしたちのせんたくやこうどうはせいげんされており、いきづらさのねっこで、みんぞくとせいがまとわりついてくるのです。たとえそれらをみないようにしても、えたいのしれないくるしみと つきあっていかなければなりません。

わたしたちは、ちょうせんじんであり、じょせいやせいてきしょうすうしゃというりゆうだけで どうしてこれほどまでになやまされるのか、そのいたみのもとをすこしでもとりのぞきたいとおもいます。そのてがかりをつかむため、みんぞくやせい、かいきゅうにもとづくさべつやぼうりょくのもんだいについてまなび、はなしあい、たがいのにちじょうのくのうをわかちあってきました。

ざいにちちょうせんじん だんせいや にほんじんじょせいへ

これまで、ざいにちちょうせんじんしゃかいのなかで せいさべつのてっぱいをとなえることは、ときとしておおくのごかいをうんできました。「せいさべつをとりあげることはちょうせんじんどうしをいたずらにぶんだんする」というこえがそれです。

しかし、せいさべつがないかのようにふるまう うんどうにおいても、じょせいがだんせいよりはやくリタイアせざるをえなかったり、しゃこうのばにさんかしづらくなったりしています。せいべつにもとづくやくわりや しょぐうのちがい、にちじょうてきなさべつげんどうと だんせいちゅうしんのけっそくによって、これまでおおくのじょせいや、うんどうにいわを かんじるひとびとがたちさっていきました。ざいにちちょうせんじんしゃかいのなかのせいさべつにむきあわないことこそが、ぶんだんをうみ、よわいひとびとをきりすててきたといわざるをえません。

たほう、にほんしゃかいでせいさべつにいぎをとなえるこころみにおいても、ざいにちちょうせんじんのこえはほとんどくみいれられてきませんでした。にほんにいるじょせいの ひせいきこようりつ54.7%にくらべ、ちょうせん・かんこくせきじょせいは 62.3%とこうりつです。また、ぎょうしゅからしょとくをみても、にっぽんじょせいにもっともおおいぎょうしゅ(おろしこうりぎょう、いりょうふくし、せいぞうぎょうが49.5%)のへいきんねんしゅう(211まんえん)にくらべ、ちょうせん・かんこくせきじょせいの50.1%は、さらにしょとくのひくいぎょうしゅ(さーびすぎょうやおろしこうりぎょう、ぶんるいふのうなぎょうしゅ;へいきんねんしゅう157まんえん)にじゅうじしており、かいきゅうてきにかいにいます(2010ねんこくせいちょうさ)。

だんじょきょうどうさんかくごも じょせいにたいしていっぱんしょくやひせいきといった たんきかつほじょてきなしごとばかりがよういされているじょうきょうにくわえ、こくせきやみんぞくをりゆうにしてこようをためらったりしょくばから とおざけたりするかんきょうが、ざいにちちょうせんじん じょせいをなんじゅうにもいきにくくしているのです。

わたしたちのおもい

みんぞくやせいがからまってなされているしゃかいてきなよくあつのありかをともにさぐるために、れんたいをよびかけます。あらゆるちょうせんじんが、あらゆるじょせいが、しんのかいほうのかじつをわけあうために、たがいのいたみへのそうぞうりょくと、ふかかいなことにあゆみよるいしをもとめます。
そのためにわたしたちも、ざいにちちょうせんじんのじょせいのみならず、せいてきしょうすうしゃ、ひんこんしゃ、ダブルや「こんけつ」しゃ、しょうがいしゃ、せいしんしっかんをふくむびょうしゃ、そのほかあらゆるそがいされたひとびとのこえをくみいれるどりょくをおしみません。それを、なんぼくちょうせん・ざいがいちょうせんじんにおけるもんだい、ひいてはぜんせかいのひよくあつみんがけいけんする、せいやみんぞくなどにもとづくひとつではないさべつのかいしょうのためのいちじょともしたいとおもっています。

このサイトは、このようなことをめざすわたしたちのかつどうについて、よりおおくのひとびとにしってもらうことと、わたしたちとおなじようなかっとうをかかえるじょせいたち、そのほかあらゆるマイノリティのひとびとと、よりひろくふかくつながっていくことをもくてきとしてさくせいされました。「だれもがいきいきといきられるしゃかいのために」をあいことばに、みなさんとてをつないであゆんでいけることを、こころからねがっています。

わたしたちのかつどうししん

わたしたちは、みんぞく/じんしゅ、こくせき、せい、かいきゅう、しょうがい、ねんれい、しゅうきょうなどにもとづくあらゆるさべつとぼうりょくをにんしきし、こうどうすることによってつながり、「だれもがいきいきといきられるしゃかい」のじつげんをめざします。

わたしたちのかつどう

まなぶ

・こうざ・がくしゅうかい・じょうえいかいなど~ジェンダー、セクシュアリティ、みんぞく/じんしゅ、かいきゅうなどにもとづくさべつとぼうりょく、それへのていこううんどうなどについてまなぶこうざやワークショップ、じょうえいかいなどをかいさいしています。

・こうしはけん~ようせいにおうじてこうしはけんやワークショップをかいさいします。しょうさいは、じむきょくまでおといあわせください。

うごく

ざいにちどうほうのジェンダーいしきにかんするアンケートちょうさ、にほんぐんせいどれいせいもんだいのこくふくをめざすデモなどをおこなっています。

つながる

ざいにちちょうせんじんじょせいのこうりゅうかい<ポグムチャリver.1>や、ざいにちちょうせんじんセクシュアル・マイノリティのこうりゅうかい<ポグムチャリver.2>をかいさいし、にちじょうのたがいのなやみやかっとうをわかちあう ば をつくっています(「ポグムチャリ」とはちょうせんごで「こころのよりどころ」のい)。また、マイノリティどうしのれんたいをめざします。

かつどうりれき

2019ねん

2018ねん

2017ねん

2016ねん

2015ねん

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2013ねん

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2011ねん

2010ねん

2002~2009ねん